
〈ブックレットによる「フランス革命」〉
かつて一度、このCDについて書いたが、毎日、カーステレオで聴いているうちに、もう一度、メモをしておきたくなった。
ジョバンニ・ミラバッシ のピアノ・ソロ『アヴァンティ 』を1人で楽しんでいるのはもったいないと思ったからである。
○クーデター直前のアウグスト・ピノチェト
昭和48年、チリの陸軍総司令官アウグスト・ピノチェト (58才)はアメリカの後押しを受け、クーデターを敢行し、軍事評議会の議長となった。
サルバドール・アジェンデが率いる社会主義政権を倒し、戒厳令下、1日で2700人を虐殺した。
ミルトン・フリードマンが唱える新自由主義によって「チリの奇跡」と称される経済発展をもたらしたと喧伝されたが、ピノチェト 政権の政策は、格差が広がり国民が疲弊する悲惨なものだった。
国の内外で、生涯に幾度も裁判にかけられ、91才の死に際しては、追悼集会と並んで祝賀会すら催された。
そのピノチェト がクーデターを起こす直前、カメラにおさまっている。
背後に立つ者たちの表情には緊張と不安が読み取れるが、腕を組んで座した当人はサングラスの奧から、斜め上の虚空を睨(ニラ)んでいる。
それにしても、セルジオ・オルテガがクーデターの3か月前に書いたメロディーは甘美だ。
通りに射す日光の明るさや、人々が活き活きと行き交う町の光景が連想される。
そうした日常の陰で、選挙によって成立した政府の転覆が企てられていたとは……。
歌手ビクトル・ハラなども殺してしまう残酷な事件を起こしたピノチェト 政権は15年で瓦解した。
この曲は幾度、聴いても決して悲しくはないが、それだけに無性に哀しくさせる。
書かれた時はいのちの輝きに満ちていただけに、歴史的事実を知ってしまった者としては、それを〈失ってしまった人々〉の無念さが胸に迫ってくるのを禁じ得ない。
強引に、理不尽に〈失わされた〉ものの思いが、亡霊となった美女のようにたち顕れてくる。
だから、明るいのに哀しい。
○第二次世界大戦、フランスのパルチザン
ミラバッシは昭和17年、ロンドンでこの曲を聞いた。
第二次世界大戦に際し、枢軸国に対抗したユーゴスラビア共産党は人民解放戦線の軍を創設した。
それがパルチザン である。
パルチザン はあっという間に陸軍だけでなく、空軍、海軍までも擁するようになり、100万人にも迫る勢いの彼らは、イタリア軍やドイツ軍と渡り合い、ついに追い出した。
この曲はエネルギーに満ち、全編に躍動がある。
立ち上がった若者たちの熱と汗が飛び散るほどだ。
元々、ロシア出身のアンナ・マルリーがスモレンスクのレジスタンス軍を讃えるために唄ったものだが、ミラバッシは全身全霊を込めてキーを叩いている。
○フランス革命
ザ・ネイション・チャイムズというこの曲は、フランス革命で断頭台に登った王妃マリー・アントワネットが愛し、自らハープシコードで弾いていたものだという。
それにしては、長調の旋律が短調の旋律と入り交じるなど、あまりにも不吉な影を宿している。
初めて聴いた時は、日本の学校で高揚を伴ったできごととして教えられるこの革命が、フランスでは二度とあってはならないものとしてとらえられ、そのために各家庭での宗教教育が求められていることを思い出したほどだった。
社交界の煌びやかさには裏があり、親からスポイルされつつ育った若者たちだからこそ、あれほど過激で、残忍な行動に走れたという説に納得していた自分としては、ミラバッシから観た革命の姿かと思ったのだ。
しかし、落ちついてブックレットを読んでみたら、それはまったく的外れだった。
驚きつつ聴いてみて、謎はさらに深まった。
小さな主題がいかに可愛らしいとしても、本当にあのマリー・アントワネットが愛したのか?
彼女はこの曲のどこに惹かれたのだろう?
それとも、ミラバッシの解釈と演奏が、本来はなかった不吉さを伴わせたのか?
さて、一人の旧軍人がこの曲をフランス革命歌「ア・サ・イラ」に仕立てあげ、勇ましい演奏が行われるようになった。
この「うまくいくさ!」というセリフは、駐仏大使だったベンジャミン・フランクリンが口癖にしていたという。
それにしても、マリー・アントワネットが愛した曲を革命歌にするとは、文化の違いというものの遥けさを感じさせられる。
「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0
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