
6月12日、アメリカのフロリダ州で、オマル・マティーン 容疑者(29才)が同性愛者の集うナイトクラブへ押し入り、50人を射殺、53人にケガを負わせたあげく、警察の特殊部隊に射殺された。
反抗の直前、容疑者がIS へ忠誠を誓う声明を出していたため、13日、IS は「『イスラム国』の兵士による襲撃」と発表した。
取材された父親によれば、2~3カ月前に男性2人がキスをしている姿を見た容疑者は「見てみろ。俺の息子の前であんなことをしている」と激高していたという。
事件前日の6月11日、朝日新聞は、欧州大学院大学(EUI)のオリビエ・ロワ 教授に対するインタビュー記事「過激派のイスラム化」を掲載している。
表題のとおり、イスラム教の中に過激派というセクトがあるのではなく、短絡的で暴力的なタイプの若者が、何かのきっかけでイスラム原理主義 の思想を旗印にして走ってしまうというのが、教授の見立てである。
教授は10代で外国を放浪し、アフガンへ侵攻するソ連軍と戦ったこともあり、過激派とされる人々と現場で議論を重ねてきた。
フランス国立科学研究センター主任研究員などを歴任してきた教授は、体験と研究の結果、種々の事件を起こした若者たちについて断言する。
「過激になる前から敬虔なイスラム教だった若者は全くいません。
布教にいそしんだ人、イスラム団体の慈善活動に従事した人も、皆無に近い。」
彼らの多くは、事件を起こすまでの過程において、むしろ非宗教的で粗暴な日常生活を送っていたことが判明している。
確かにイスラム教徒の家庭で育った者が多い。
しかし、彼らは移民2世であり、非イスラム教の風土で育った。
そこで、言語的にも宗教的にも世代のズレが生じる。
「今起きている現象は、世代間闘争です。
若者たちは、自分たちを理解しない親に反抗し、自分探しの旅に出る。
そこで、親のイスラム教文化とは異なるIS の世界と出会う。
その一員となることによって、荒れた人生をリセットできると考える。
彼らが突然、しかも短期間の内にイスラム原理主義 にのめり込むのはそのためです。」
彼らは、うっぷんを晴らすための〈旗印〉としてイスラム原理主義 を用いる。
「彼らが魅せられるのは、IS が振りまく英雄のイメージです。
イスラム教社会の代表かのように戦うことで、英雄として殉教できる。
そのような考えに染まった彼らは、生きることに関心を持たなくなり、死ぬことばかり考える。
自爆を伴うジハード(聖戦)やテロ は、このような個人的なニヒリズムに負っています。」
いつの時代も、貧困や病気や差別に苦しむ人々は、宗教的救済の対象となる一方で、宗教団体に引き入れられもする。
そうした層を狙う宗教団体は、ほぼ例外なく他の宗教宗派を否定、攻撃しする〈閉じた〉組織となっている。
門を入った者たち同士の極楽があると思わせる一方、門から入らない者には容赦ない。
事実、東日本大震災後、避難生活を送る人々の悩みの一つは、宗教的勧誘を断ることだった。
世界中でいのちのケアにたずさわる宗教者には、仏教徒とキリスト教徒とを問わず、共通の姿勢が求められる。
まず、相手の宗教や思想や立場を尊重すること。
その上で、虚心坦懐に相手の言葉に耳を傾けること。
そして、相手へ自分の宗教を押しつけないこと。
勧誘という下心があってはならないし、相手の宗教を貶めるなどあってはならない。
当山の人生相談も同様の姿勢で行っている。
相手が求めるか、もしくは問題を解決するために必要な方法であると確信できる場合のみ、宗教的方法を提案する。
教授は言う。
「こうした現象が初めて顕著になったのは、中国の文化大革命でした。
若者たちが親を『打ち倒すべき敵』と位置づけ、ちゃぶ台をひっくり返して、すべてをゼロから始めようとした。
1960年代以降、このように親の世代を否定する過激派現象が世界で吹き荒れました。
68年のフランスの学生運動『5月革命』、テロ を展開した『ドイツ赤軍』、カンボジアで虐殺を繰り広げた『クメール・ルージュ』は、みんなそうした例です。
若者による親殺しなのです。」
「しばしば指摘される過激派の暴力的、威圧的な態度も、イスラム主義に限ったものではありません。
若者文化、ストリート文化につきものなのです。
ロサンゼルスのヒスパニック系ギャングにも、シカゴの一部の黒人集団にも、同様の傾向がうかがえます。」
数々の現場に立ち会ってきた教授の目は、イズラム教の旗に惑わされず、若者たちの「暴力的、威圧的な態度」そのものを見抜いている。
宗教は本来、そうした「態度」を和らげ、あるいは「態度」の発生源を解消し、あるいは若者のエネルギーを創造的な方向へ導かねばならない。
若者一人一人が人間として真に解放され、伸び伸び、活き活きと生きる方向を見つける手助けになればそれで宗教本来の役割は果たされるはずだ。
いかなる宗教を信じるかは、一人の人間にとって人生の一側面である。
信仰が人を離反させてはならず、無論、いのちを捨てさせてはならない。
万人に開かれ、すがる人を利用しようとしないのが真の宗教の姿ではなかろうか。
私たちは、テロ を見すえる一方、宗教へすがらせようとする者、教団という閉じた世界へ引き入れようとする者への警戒を怠らないようにしたい。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
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