
最近、事前指示書 に関するご相談があります。
事前指示書 とは、自分で意志表示できない状態になった時にそなえて、事前に医療行為などに関する要望をまとめておくものです。
自分が倒れたならこうしてもらいたいとか、これは止めて欲しいというイメージを持っていても、形あるものにしておかないと、周囲の人々がわからなかったり、誤解したり、あるいは無視したりといったことになる可能性があるので、指示書は大切です。
こうした事前指示書 にはその人の人生観 がはっきりと表れ、いかにまとめるかは、一人の人生を総括する作業でもあります。
ところで、、古いオーディオ 装置を愛用し続けている作家村上春樹 氏はこんなことを言っています。
「うちのJBLのユニットは柄こそでかいけど、最新のスピーカーに比べたら上も下もそんなに伸びません。
スペック的に見たら時代遅れなスピーカーだと思います。
もっと広域が伸びたり、低域がもっとガシッと出たりしたらいいだろうな、と思う時ももちろんあります。
でもそういう音になって、僕にとっての音楽の情報量がいまより増えるかと言ったら、それはないんじゃないかな。
このいまのスピーカーを通して与えられる情報が、僕にとって長いあいだひとつのメルクマールになってきたし、それをもとにして音楽的にものを考える訓練を僕は積んできたわけです。」
「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさとは何か?
それは、いいものと悪いものの差がはっきりわかる、というところじゃないかな。」
「価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。」
私たちは、音楽だけでなく、いろいろなものの価値判断をし、取捨選択しつつ「人生をつくっていく」わけですが、人生の最終場面における取捨選択が事前指示書 の作成ではないでしょうか?
誰かに選んでもらうのではなく、〈ここはどうしても譲りたくない〉と自分で選んだ自分の人生の最後の姿がそこにはあります。
選び方に誰かとの比較はなく、いつしかできていた自分なりの尺度をもってするしかありません。
ここに、村上春樹 氏の言う「メルクマール」つまり指標の問題があります。
氏は音楽に対して、〝これはいいなあ〟〝これはよくないなあ〟と判断し、そうした感覚で「ものを考える」生き方をしてきました。
判断の材料となる音楽を提供するのが「JBLのユニット」です。
それを通してこそ、氏は安定した判断が行い続けられました。
私たちにもまた、自分なりの判断をさせる心の装置があるのではないでしょうか。
私たちは普段、それを誰かに示すことはなく、氏にとっての音楽のようなものを必ずしも持ってはいませんが、事前指示書 を考える段になると、自分でも気づかなかった判断の道筋や希望の強さに驚いたりします。
Aさんは、ペースメーカーの電池がなくなる時を臨終 の時と思い定めて指示書に書き、それまで、み仏から預かったいのちを大切に生きようと考えておられます。
Bさんは、自分が手をかけられなくなった時に飼い猫をどうしてもらいたいか、相手の了承を得て指示書に書き、「一番の気がかりがなくなりました」と笑顔を見せました。
Cさんは、献体の場合も引導 を渡してもらえることを知り、「二つの望みがかなえば、もう、何も要りません」と涙を流されました。
こうした決心の〈相談〉や〈書き込み〉、あるいは〈委託〉をお寺で行いたいとのお申込みがあると、いつも以上に身が引き締まります。
そもそも寺院は、そうした場でした。
この世のままならなさに負けず、人としてまっとうに生き抜き、最期を託すために役立つ場だったはずです。
大いに利用していただきたいと願っています。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから どうぞ。
「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA
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