〈東京出張で昼食を摂るコンビニ前のテラス。毎月のことゆえ、いつの間にか小生からおにぎりをもらう習慣になったスズメたちがいます〉
6月8日(水)午前10時30分より(受付開始10時)「シティホール古川」様にて、(株)ベルコ様主催の法話
とご相談
の会を催します。
まず法話
を行い、その後、別室にて個別のご相談
をうけたまわります。
会費は無料ですので、どうぞお気軽におでかけください。
なお、行政書士による生活無料相談
会も同時開催されます。
○場所:(株)ベルコ「シティホール古川」大崎市古川字城西20ー1 0229ー21ー8555
○申込:6月3日(金)まで
終活
という言葉がさかんに用いられ、人生
の終わりを迎えるに当たり、混乱のないよう、周囲へなるべく負担をかけぬよう準備を調える意識が高まっています。
就職活動を縮めて就活と呼ぶことにちなんで、平成21年に「週刊朝日」が「終活
」と表現し、この言葉は一気に広まりました。
しかし、死
に行く方や、死
ぬ方を看取り、送る方、そして弔い、悼む方々と日々、接している者としては、「活」の字に少々、違和感を禁じ得ません。
死
はまず、否応なく訪れるものです。
そして、生きものは皆、死
を忌避しないではいられません。
それだけに死
は過酷で厳粛、人間がいかに死
ぬかという問題は、その人の尊厳
にかかわってきます。
こうした死を迎える時の心持ちは、活躍の「活」で表現されるべきものでしょうか?
小生は、私たちが生命保険へ入る時に起こしがちな錯覚と通じる危うさを感じます。
私たちは、自分が死んだおりに大金が入る契約をする時、決して自分が手にするわけでなく、自分が使えるわけでもない〈大金〉に一瞬、嬉しくなりはしないでしょうか?
今、死に近づいている私たちはいくつもの不安
を抱えています。
子や孫は、自分がいのちを永らえてきたように、活き活きと安心に生きられる社会をつくり、きちんと人生
をまっとうできるだろうか?
子孫は、ご先祖様やお墓を守って行けるだろうか?
だから、自分が元気なうちに、自分の死後のことごとはなるべくやってしまおうと考えます。
それはそれで結構ですが、気になるのはやはり、いつの間にか〈鼻先にニンジンをぶら下げられた馬〉のように、急(セ)かされる風潮です。
私たちは、提供されるメニューから選択した手順さえ調えれば、もう、自分の〈死〉は解決したことになるのでしょうか?
もしかすると私たちは、実際に死を目前にしてようやく、保険金は自分が意のままにできないこと、あるいは、相続人たちがそれぞれ当てにしていることを実感するかも知れません。
もしかすると私たちは、実際に死を目前にしてようやく、「自分は死後、どこへゆくのだろうか?」という本質的な不安
に直面し、その不安
は遺体を処置する方法が万全であることによってまったく解消され得ないことに気づくかも知れません。
もしかすると私たちは、実際に死を目前にしてようやく、貧困や病気や戦争によって死にゆく人々の苦しみがわかり、何らの手を差し伸べなかった自分の人生
を悔いるかも知れません。
死を迎えて本当に大切なことをよく考える必要があります。
慌てて「活動」する前に、自分の人生
を「総括
」し、自分の人生
に悔いはないか、人間としてやり残していることがないかどうか、深く省みるべきではないでしょうか?
そうした意味において、当山は「終活
」ではなく、終いを締め括る「終括
」という言葉を提案します。
皆さん、「終活
」は結構ですが、それよりもむしろ「終括
」をこそしっかりやろうではありませんか。
当日は、「終活
」については業者様へお任せし、小生は「終括
」についてお話と対話
を行います。
どうぞおでかけください。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから どうぞ。
「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y
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