外科医中山祐次郎
氏著『幸せ
な死
のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』を読んでいます。
氏は最終章で、驚くべきことを言い出します。
「あなたは死 なない。
なぜなら、自分が死 ぬときは、それを自覚することはできないし、体験もできないのです。
思い出せないし、メモも取れないし、SNSにもアップできないし、誰にも伝えられない。
だってあなたは死 んでいるのですから。
そうだとしたら、『幸せ な死 』というのは、いったい誰にとっての幸せ なのでしょうか。
私はその答えを『あなたにとって幸せ なのではなく、あなたの大切な人にとっての幸せ 』な死 なのだ、と考えています。
私たちは、大切な人のために、大切な人をより大切にし慈しむために、『幸せ に死』んでいかなければならないのです。」
「私は、幸せに死ぬためには、幸せに生きることが必須だ、と考えています。
前にもお話ししたように、『人は生きたように死んでいく』からです。」
「人を真剣に愛 した分だけ、その人は最期のときに愛 されます。
幸せに生きた人は、幸せに死んでいくのです。」
私たちは死〈について〉考えることが容易でも、死〈を〉考えるには居住まいをたださねばなりません。
なぜなら、体験が不可能なだけではなく、体験に近いところまで想像することも難しいからです。
私たちは死というものを、見えず、聞こえず、話せず、動けず、意識がなくなり、呼吸と脈拍が止まって冷たくなると想像しますが、それらは、ほとんど、誰かの死に立ち会ったり、誰かの死について見聞きしたり、誰かが書いた本で読んだりした範囲からの類推でしかなく、自分が実際に痛み、苦しみ、意識が遠のく状態になりながらそれを考え、判断したことを生の中で生かせはしません。
そこのところを、医師は「あなたは死なない。」と端的に述べました。
そして、死の現場にたずさわってきた一人の人間として行った証言「人は生きたように死んでいく」にはあまりにも重いものがあります。
しかし、仏教的に考えればそれは当然なのです。
なぜなら因果応報は動かせぬ原理であり、いかなる思惑も、とり繕いも、自分で自分の生が保てなくなれば通用しないからです。
一生を過ごした人が人生の最後に否応なく明らかにするのは、「人を真剣に愛
した」かどうかであるという指摘は重要です。
お金があれば生きる環境を調えられるし、権力があれば周囲へ意志を通せるし、才能があれば他人様へ頭を下げなくても自力で生きられます。
でも、人を愛
するかどうかは、何かのあるなしと無関係です。
それは私たちへ等しく備わっている霊性の発露であり、手にしているものや身に具わっているものや社会的立場などとは次元の違う真実だからです。
Aさんは言われました。
「私は動ける限りゴミを拾い、掃除し、言える限りありがとうを言い、できる限り夫の世話をし、倒れたら救急車を呼んでもらわず自然に逝きたいと願っています。」
このAさんこそ、人を真剣に愛
している人ではないでしょうか。
Bさんは言われました。
「妻は、自分のお骨を私のそばに置き、私が死んだら二人一緒に法楽寺の樹木葬『法楽陵』へ入れて欲しいと希望していました。」
ご夫婦の真剣な愛
が証されました。
一方、何不自由なく生活し、成人した子供もいるCさんは、夫が遠方へ単身赴任したままになっているので、お寺へ通うのが面倒になり、お墓を整理しようと思い立ちました。
そして、頼んだ石屋さんにたしなめられました。
肝心のお骨を人知れずゴミに出そうとしていたことが発覚したからです。
開いた口が塞がらない、と言うより、とうとうここまで来たか、というのが偽らざる実感です。
子供の頃から、あまり人の道を学ぶ機会がなく、処世の術だけを追い、競争させられる文化によって咲いた毒花を観る思いです。
いま、政府は大学から「なぜ生きる?」と問う文化系の予算を減らし、「どうやって生きる」かを手にする理科系の予算を増やそうとしています。
一人一人が考え、疑問や問題意識を持ち、研究する機会を減らす代わりに、国家が定めた道徳教育を早くから施そうとするやり方は、納得できません。
村上春樹
氏は『村上さんのところ
』に書いています。
「人文系ってあまり直接的な役に立たない学問だけど、直接的な役に立たない学問って、世の中にとってけっこう大事なんですよね。
派手な結果は出さないけど、じわじわと社会を下支えしてくれるから。
小説も同じです。
小説がなくたって、社会は直接的には困りません、
でも小説というものがなくなると、社会はだんだん潤いのない歪んだものになっていきます(いくはずです)。」
倫理を基礎にした有形無形の歯止めが薄れてゆく中で、より鋭利な刃物をどんどん社会へ供給するような状況がはらむ危機はいつ、誰によって自覚されるのでしょうか。
私たちが「人を真剣に愛し」、「幸せに生き」、「幸せに死んでいく」ためにはどうすればよいか、よく考えたいものです。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから
どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから
どうぞ。
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0