〈金澤翔子さんには震えさせられます〉
一件落着。
何という安心な言葉でしょうか。
落着が積み重ねられつつ、人生は営まれて行きます。
それはそうですが、こと〈人間〉に限っては、そう単純に進まないものです。
〝信じていたのに、なぜ……?〟
裏切られたことのない人はおられないのではないでしょうか。
また、自分でもこうなったことがあるはずです。
〝あの時は魔が差したのだ……〟
一方では、あまり目立たないお子さんがボランティア活動で表彰されたり、障害者がとてつもない芸術作品を生み出したりもします。
金澤翔子さんの書を見て、ハンディを持った方の作品だと思う人はおられないことでしょう。
最近では、「ビリギャル
」こと、小林さやか
さんの活躍も記憶に新しいできごとです。
さやかさんを見事、慶応大学へ合格させた塾の講師坪田信貴
氏の言葉は新鮮です。
「地頭の悪い子などいない。
どの子も、可能性に満ちている」
「ダメな人間なんて、いないんです。
ダメな指導者がいるだけなんです。
でも、ダメな指導者も、ちょっとした気づきで、変われるのです」
お大師
様は説かれました。
「決して変化しない性質を持ったものはない。
人もまた、悪と定まった人はおらず、縁の次第によっては愚か者も悟りへの道を深く求め、教えに従えば凡人も賢者・聖人の域へ近づけよう」
私たちには、ものごとを固定的に見て決めつけ、安心しようとする心理があります。
判断をやめれば楽なのです。
しかし、実際は、悪人にも母親を慕う優しい心があったり、評判の良い人が善からぬ思惑をひそめ持っていたりします
。お大師
様はそうした人間のありようをよく眺め、経典が説くとおり、誰しもが仏性
(ブッショウ)を持った仏弟子であることを忘れぬよう戒められました。
以下、読み下し文です。
「物に定まれる性(ショウ)なし、人なんぞ常に悪からん。
縁に遭(ア)うときは、すなわち庸愚(ヨウグ)も大道を庶(コ)い幾(ネガ)い、教に順ずるときは、すなわち凡夫も賢聖に斉(ヒト)しからんと思う」
誰もが等しく生き仏になれる〈み仏の子〉です。
心に相互礼拝、相互供養のイメージを持っておつき合いしましょう。
相手が子どもであっても、善行を見ては見習い、相手が有名人でも、悪行を見ては反面教師にすればよいだけのことです。
他人様を善い人、悪い人、優秀な人、ダメな人、などと簡単に決めつけず、広い心でこの世の縁を大切にしたいものです。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから どうぞ。
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0
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