五智 」とは、優しさ・厳しさ ・正しさ・優雅さ・尊さであり、その五光により、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。

 さて、厳しさ は、〈愚癡〉〈好悪〉〈自他 〉〈明暗〉〈公私〉という五つの問題がきちんと整理される時、〈人間がみ仏の子である証明〉として完成します。

[2の3]厳しさ自他 のものの区別をする

 人間関係 の根元にあるのが自他 のものを区別する感覚です。
 これができない幼児は、兄弟や友だちのオモチャに手を出してケンカが始まります。
 区別がつくようになると、今度は占有する気持が強くなり、親は「貸してあげなさいよ」と指導します。
 自分のモノへのこだわりと、他人の気持に応えることと、二つのバランスがだんだんにとれて大人 になってゆきます。

 さて、大人 になればなったで、次のステップが待っています。
 自分に属するモノだけでなく、ものごとも問題になります。
 わかりやすいのが体調です。
 身体の具合は百パーセント当人の問題であり、誰も代わってやれません。
 お腹がすいたからといって代わりに食べてやることもできなければ、便秘だからといって代わりにトイレでしゃがんでやることもできません。
 しかし、家族であれ、友人であれ、体調が悪ければ〈他人(ヒト)ごと〉ではなくなります。

 たとえば、ばったり出会った友人が青い顔をしていれば心配になります。
「また、飲み過ぎたの?」
「疲れているんじゃない?」
「仕事、大変なの?」
 さまざまに声をかけたくなります。
 そこで、相手が大したこともなくて、「また、やっちゃったからね」と笑って別れられれば何ということもありません。
 しかし、少しうるさく言い過ぎたり、相手が気づかれないでいたい異変に触れてしまったり、相手の虫の居所が悪かったりすると問題です。
 せっかくの善意 が相手へ不快感を催させてしまいます。

 そうかといって、周囲の人々へ無関心で、自分の領域に強いバリアを張っているだけの人は信頼されず、尊敬されもしません。
 人格で人生を渡れず、お金や権力や才能で意志を通そうとしますが、ますます信頼や尊敬からは遠ざかってしまいます。
 信頼や尊敬を集める人は、他人のものごとへどう触れるかという微妙なバランス感覚に優れ、触れないでおくべきところでは、ほとんど無関心を装い、相手が触れて欲しいと思っているところへは、ほとんど自分自身の問題であるかのように踏み込みます。

 江戸時代の長屋生活は、住む人びとが自他 の間合いなどにおける絶妙な感覚を自然に学ぶ形態であったろうと想像されます。
 太平洋戦争後の日本でも、味噌や醤油の〈貸し借り〉をするなど、お隣さんとのつき合いに心温まる部分がありました。
 人々は、日々の生活の中で、自他 のものの区別と、区別をふまえた上での交流について自然に、実践的に学びました。

 さて、「疎(ウト)んじる」という言葉があります。
 親しむの反対で、よそよそしく疎遠な関係になることです。
 この疎(ソ)は、梳(ソ…クシで髪をとかす)に通じ、粗(ソ)にも通じています。
 こまやかで嬉しい気持が漏れ落ちているという感じがあります。
 自他 のものの区別がうまくできない人は、自分の善意 が空回りしたり、疎んじられたりする可能性があります。
 こちらの温かい気持が相手との間からこぼれ落ちては残念です。

 自他のものの区別をつけながら、「親」と「疎」のバランスがとれた自他の関係をつくってゆくには、第一に、自分の気持に流されず相手をよく観る〈自分への厳しさ 〉が必要です。
 よく言われるとおり、病人を励ますことは難しく、「がんばって」は禁句だと主張する方もおられます。
 そうすると「しっかり」はどうか、という話になり、言葉だけをあれこれ言ってもほとんど無意味です。
 理想的なのは、相手を思うのなら、思う自分を離れ、思われる相手になってしまうことです。
 もちろん、簡単にはできません。
 しかし、「可哀想に」とか「痛いだろうなあ」という自分の優しい心に発する〈無条件の前提〉から離れてみることは、意識すればできます。
 その典型が天皇 陛下の慰問です。
 国民の安寧と日本国の平和を祈ることに一身の根本的存在理由がおありになる陛下は、祈る心のまま、私たちの近くへお出かけになられます。
 東日本大震災の被災地へも足をはこばれ、お言葉を述べられました。
 それは、私たちが普通に交わす言葉と同じ内容であっても、無私 の両陛下が口にされると受ける側の心はちがいます。
 天皇 陛下だから、という先入見の力がはたらくのも当然ですが、やはり、国民(クニタミ)を思う心一つで過ごしておられる聖人たるお力によるものでありましょう。
 ポイントは〈無私 〉です。

 とにかく、会ってみること。
 会うまでは「大変だろうなあ」「辛いだろうなあ」などといろいろ思ってでかけても、会った時は、相手をそちら側に置かず、自分へ引き入れるようなイメージを持ってみましょう。(瞑想『阿字観』では必ず行います)
 そうすると、相手の本当の気持に近づけます。
 言葉は特に、出ないかも知れません。
 相手が先に「ありがとう」と言うかも知れません。
 言葉がなかなか出ずにじっと握手をし、たとえそのまま帰ったとしても、相手を思う気持は必ず伝わり、相手が感謝や感激をもよおせば、それは必ず生きる力となります。

「自他のものの区別」をつけながら、自分の思い込みにとらわれないこと。
 大人人間関係 上、よく考えてみたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから どうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y






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