平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ 法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ 『死の謎』を説く」である。

第四章  と慈 、そして

1 真実の

と憎しみ――コインの裏表である

「視点を限ってみよう。
  愛はどうか。」

欲をそのうちに秘めた愛は、けっして一定することがない。
 それは 愛の対象の態度いかんによって、いかようにも変化する。
 そればかりではない。
  欲に導かれた場合、愛と憎悪 はときとして同時に人の心の中に生まれ、育ってゆく。」

「ある状況のもとでは、愛と憎悪 とは同じものの二つの呼び名ですらある。
 それはひとつのコインの表裏 の関係を思えばいい。
 愛していると思っていた対象の、ほんのささやかな言葉ひとつ、ちょっとした振舞い、予感さえ、いともたやすく、そのコインを愛の表から憎悪 の裏へとひっくり返してしまうものだ。
 性愛とはそうしたものだ。」


 人間は男性か女性であり、性は生きものの宿命として引力をもたらす。
 ほとんどは異性を引き寄せるが、同性へはたらく場合もある。
 いずれにせよ、性はいのちと共にあり、必ず対象を必要とする。
 そして、対象のありようが自分の性的感覚にとって〈快〉であれば愛情 を感じ、〈不快〉であれば嫌悪感が起こり、〈無反応〉であれば無関心となる。
 煩悩 (ボンノウ)の分類からすれば、それぞれ、好(コウ)・悪(オ)・平(ヘイ)となる。
 誰にでも起こる自分独自の分類であり、相手にまったく責任のない自分勝手な分類とも言える。

 私たちは快を感ずる相手へ近づきたくなり、不快な相手へは近づかず、もしくは遠ざかりたくなり、無反応な相手はいないに等しい。
 問題は、快を感じ、親近の手応えがあった後に起こる。
 相手も親近感を持ち続けていてくれれば最高だが、心は瞬間瞬間に変化し、見聞きする現象世界も瞬間瞬間に変化し、揺れ動かぬ感情はない。
 もし、相手の変化が気に入らなかったり、気に障ったり、疑念をもたらしたりすると、満足感を伴った愛情 はたちまち土台に亀裂が入り、不安定になる。
 もしも土台が崩れれば愛情 も裂け、愛情 の風船は裏返り、憎悪 が表面へ躍り出る。
 そのはたらきが激しくなれば忿怒暴力 へとつながる。
 性を主役とする愛が育つ時、憎悪 も必ず、裏側で育っている。
 ダライ・ラマ 法王は、そのことを「コインの表裏 」と説かれた。

 だからといって、性が主役となる愛を否定するわけには行かない。
 種の保存は生きものの存在に与えられた意味の一つであり、性はあらゆる文化へ最も精妙な香りをもたらし、この世にある彩りの光源もとなっている。
 問題は、性をどう生きるかにかかっている。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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