一寺院
における東北関東大震災
・被災
の記録
である。
【五日目(3月15日)】
修法したりブログを書いたりしているうちに朝食の時間がなくなり、カロリーメイトを助手席へ放り込んで枕経のお宅へ向かう。
農村で苦労しつつ建てた老夫婦の家は、土間にも廊下にも柱にも生活と歴史が染み込んでいる。
作法通りに横たえられたご遺体は、顔にかかっているまっ白な布が尊厳をいっそう引き立たせている。
不動明王の結界を結び、打ち合わせに入るが、故人のお人柄を聞く程度しかできない。
とにかく斎場の様子がわからず、火葬の日取りが決められない。
結局、当山の日程に合わせて先にご葬儀を行い、あとは斎場の順番待ちとなった。
携帯電話が通じないので当山の予定が確認できず、葬儀を担当するJAの担当者を先導して帰山する。
ところどころで一車線を塞いで車が数珠繋ぎになっているのは、ようやく開いたスーパーやガソリンスタンド近辺である。
ご葬儀の日程が決まった時、石材業者のAさんがこられる。
大規模に被災
した七ヶ浜に社員がいるAさんは、知り合いからバイクを借りて駆けつけたという。
沿岸部を走ってみたが、町も村も寺院
も墓地も想像を絶する壊滅ぶりだった。
途中の状態はとても詳しく説明できないと剛胆なAさんが目を伏せる。
水に浸かった家で、柱にもたれかかり事切れているご遺体を見たが、どうしようもなかった。
漁師の話によると、流れ着いたご遺体はましな方で、海上保安庁や沖合の米艦が引き上げているご遺体は見られない状態だろうという。
崩壊した店舗の中や瓦礫の隙間を(アサ)っているとしか思えない人もいたが、誰も止めない。
仙台市営のいずみ墓園は、地下へ排水網を張り巡らしたために液状化現象が起こり、無惨な状態になった。
インター近くの宮城霊園では崖が崩れており、手をつける方法がない。
いずみ墓苑でやっと完成したお墓から職人が離れようとした瞬間、地震が発生して墓誌が倒れかかってきた。
必死に支えようとしたが身の危機を感じ、逃げた途端、墓誌は壊れた。
すみませんと涙ながらに報告する職人を、Aさんは「よくやった」と慰めた。
これからお彼岸を迎えるがまったくどうしようもなく、国家レベルでの支援がなければ崩壊した墓地の復興は不可能だ。
知り合いの養鶏場にたち寄ってみたら、餌が枯渇したために鶏が卵を産まなくなったし、このままではもうすぐ全滅するだろうという。
山形県にも取引業者はいるが、往復などできない相談である。
わずかばかり残っていた卵の話をしているところへ病院の車が来た。
患者さんのために卵を譲ってくれという。
自分も卵を手にしたAさんは、貴重な卵を当山へも分けてくださった。
仙台の断水は続いているのかも知れないが、当山へはもう、誰も訪れない。
ガソリンがないのだろう。
私たち夫婦は、残っている米を炊いて食べている。
しかし、米やプロパンガスがなくなったなら、ご近所さんから米を譲っていただき、薪を拾って炊こう。
ライターがなくなったなら、木材を擦り合わせて火を起こそう。
ご葬儀での移動は、当山の歴史が始まって初めて、送迎をお願いするしかなかろう。
いずれにしても、原発
の事故が最悪の事態になれば、あらゆる願いも努力も徒労となる。
実に、すべては、「仮に今、有る」だけである。
核分裂が連続的に起きる再臨界が始まれば、わずか数十年前にアメリカのビルをも買いあさった日本人がいた小さな島々は、誰も寄りつかない孤島となり、自然の力で放射能が減衰するまで無人の森となる道を転げ落ちるかも知れない。
芥川賞作家であり、時代を先導してきた言葉の名手石原慎太郎
東京都知事が言った。
「この津波をうまく利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある。
積年たまった日本人の心のアカをね。
これはやっぱり天罰
だと思う。
被災
者の方々はかわいそうですよ」
「日本に対する天罰
だ。
大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。
それをしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」
あまりの波紋の大きさに、撤回し、「深くおわびします」と陳謝したが、発言は失言でなどあり得ない。
本音にまちがいない。
日本人のありようを批判する発言に真実が含まれてはいようが、本人の立つ位置と表現に問題があった。
〈日本人〉には自分も含まれているという視点と謙虚さがなく、〈ダメになった人々〉をそちら側に置き、自分はこちら側に立っていた。
また、これまでも石原氏が好んで使っていた「天罰
」は、受け止め方がとても幅広い。
後になって「日本に対する天罰
だ」と説明されても、多くの人々は「被災
者たちが天罰
を受けた人々であると指摘された」と感じたはずである。
そして、苦しんでいる人々へ天罰
の一言はあまりにも無慈悲に響いたのだが、石原氏は、批判されてもこの無慈悲さをなかなか想像できなかった。
彼の年齢のなせるわざか、それとも作家でなく政治家になって人間を観る視点が変わったのか、権力者に待っている陥穽へ落ちたのか、……。
ここに至り、天災の翌日に記した思いがよみがえる。
「不可知の領域への畏敬の念が宗教心の核であるならば、私たちは、あまりに宗教心から離れすぎていたのだ。
原発 のメルトダウン(炉心溶融)が起こるとするならば、それは日本が廃墟となる日へのカウントダウンかも知れない。
しかし、世界がどうやら生き残るならば、生き残った人々が深い教訓とするならば──、それもやむを得ない。
地球上ではこれまで、崩壊するなどと想像されなかったはずの高度な文明がいくつも消滅してきた。
識者は、いろいろと原因を探すが、よくわからないものが多いという。
もしかすると、それは形のない心の問題だからではなかろうか。
そうだとすると……。」
何でも知り得る、何でもなし得ると「知」の領域を過信し、無限に便利さ、快適さ、そして儲けを追い求め、ささやかな「知」の領域の向こう側に広がる広大な世界へ無頓着になり、無視してきたことをこそ、思い起こし、知らぬ間に〈分〉を過ぎていたことに気づき、しっかり立ち止まりたい。
現代文明の最先端を行く日本は、文明の宿痾(シュクア…抱えた病気)とも言うべき精神のしこりを背負っているのではないか。
原発
事故は、日本が犠牲になって、宿痾を世界中の〈共有者たち〉へ示す役割を果たすできごとではないか。
美しい空気を吸い、汚染されていない水を飲み、安全な米を食べてこそ、心身は健全にはたらき、保たれ、社会も存続し得る。
そして、そうした生存の基礎は私たち一人一人が全員でつくってゆかねばならない。
宿痾を克服し、「知」の暴走をくい止めつつ。
著書『みほとけは あなたのそばに』へ挿入したエピソードを思い出す。
かつて娑婆で商売し、さかんに飲み歩いていた頃、妻と幼い子供たちを連れて低い山へ登ろうとしたことがある。
軽装で道に迷い、天候が崩れ、遭難しそうになった。
突然現れた完全防備の青年に救われたが、彼はお礼に渡そうとした紙幣を受け取らず、名も告げずに立ち去った。
「手で水をすくったとき、ポケットの紙は何の役にも立たなかった。
それは、お礼として渡すこともできず、心底ありがたいと主ながらも、感謝は風船のように行き場を知らず、宙に浮いていただけだった。
彼は、自分の足で真実世界に立っていた。私は、かりそめの世界の漂流者だった。
できごとの真の意味が解るまで、十年以上を要した。
持てる財と社会的立場をすべて失わねばならなかったのである。」
自分の未熟さに怖れず、精進の足りなさをこそ畏れ、皆さんと手を携えて永遠に菩薩
道(ボサツドウ)を歩み続けたい。
──たとえ、今すぐ文明の悪魔に命根を断たれ、この世での役割を終えようとも。
〈多宝塔へ善男善女によって納められた宝珠は、すなわち弘法大師、すなわち大日如来です〉