一寺院における東北関東大震災
・被災
の記録である。
【四日目(3月14日)】
いつも3時か4時に起床しているので、5時過ぎまで寝ているのは辛い。
避難所で眠れない方々がたくさんおられるのに不謹慎だが、仕方がない。
暖房を節約せねばならず、風邪もひけないので、布団の中で明るくなるのを待つしかない。
ようやく起きて祈っていると新聞が届く。
河北新報は14日号、読売新聞は13日号である。
紙面については書かない。
それにしても、毎日、律儀に広告が入っているのは奇異な感じがする。
一体誰が「売り出し」へはせ参ずるのか。
ラジオは東京電力の計画停電 について報じている。
「この計画が成功し、順調に電力が供給できるかどうかは国民の協力にかかっています」
国民生活が変わる。経済活動が変わる。日本が変わる。
それにしても、圧倒的な比重で日本の命運を握っているのは、やはり、原発 である。
政府の発表が慎重なだけに、危機は高まっているのだろうと思う。
ラジオは励ましのメッセージも次々と流すようになった。
「東北がんばれ!」
日本人の心はこのまま復興へ向かうのか、それとも一時の高揚と感傷で終わるのか。
クロが朝からまとわりつく。
餌も食べるようになった。
もう、余震は大丈夫なのだろうか。
それにしても、足許に近すぎる。
やはり警戒しているのか。
Aさん宅へパソコンを受け取りに行くが留守で「9時に戻ります」との張り紙。
近くのBさん宅へ立ち寄ったところ、カー用の充電器を貸してくれた。
ありがたい。
充電しながら移動している途中、携帯電話が鳴る。
急いで手に取ると、何とご葬儀 の依頼。
昨年から相談に来られていたBさんが亡くなり、泉中央駅前の葬祭会館に安置されているという。
枕経へ行く約束をして帰山したところへ、Cさんが弟さんと娘さんを連れて応援に来られる。
ご実家は最も津波による被害が激しい陸前高田市で、やや高台にある実家は大丈夫かも知れないが本家はだめだろうとのこと。
もちろん、故郷の誰とも連絡はついていない。
靴を脱いで共同墓『法楽の礎』の基壇に登り、あちらこちらを向いた十三仏様の向きをなおし、パッキンをかる。
適度に柔軟性のある接着剤でとめられていたので、動いても落ちなかったのだろう。
唯一、基壇から落ちたのがお不動 様だったのは、奴僕(ヌボク…奴隷)の心がそうさせたに違いない。
それにしても、小さな円筒型で安定性が薄い壇上にある大きな大日如来が後ろ向きになってもほぼ、位置を変えず、落ちなかったのにはあらためて驚く。
建物を造ってくださった寺院サービス社の社長が、棟梁を伴ってチェックにこられた。
ご本尊様もお大師様もお不動 様も、そして壁の側面に祀った150体の守本尊様方も無事だったのにはさすがに感激された様子で、念入りにお詣りされた。
建物は天井の照明がつり下がったり、100坪ある基礎の隅がやや欠けた程度で、ピンとしている。
柱も梁もあの激震に耐え、よくこれだけ大きな空間を守ってくれたものだ。
技術の確かさに一層、信頼を深める。
当山の建設にも尽力してくださった浜辺に住む職人さんと連絡がとれず、海岸近くに建てた寺院などはすべて助かっていないだろうという。
見に行こうにも道路は通れず、ガソリンも少なく、なすすべがない。
「材木の手当も、職人の確保も、事務所の後片づけもどうにもならず、これからのことは何も考えようがありません」
昼食を摂る間もなく、空きっ腹のまま会館へ向かう。
通電しているが照明はつかず、もちろんエレベーターも動かず、水も出ず、担当者は皆、私服である。
着替え用にと通された部屋は、天井から落ちた煤が机も床も埋め尽くしている。
長期間に渡って闘病を続けた方が亡くなり、覚悟していたとはいえ、皆さん、放然としておられる。
こうした時期に無事赤ん坊が生まれた報道もあったが、実に、人の生死 は時を選ばない。
いつもどおりに不動 明王の結界を張って御霊をお守りし、枕経の意味をご説明申し上げる。
今後の日程は決めようがない。
斎場と電話がつながらず、炉の破損状況もわからないからだ。
交通量がいつもの半分もなく、交通信号もところどころ消えている町を速やかに通過して帰山する途中、東北電力関係の工事を行うユアテックの車が何台も停まっており、間もない通電を確信する。
インスタントラーメンをかき込み、妻を外回りに出してまもなく、メモをとっている机の脇で印刷機がクーッと音を出す。
通電だ!
デスクトップパソコンに走り、ロープで縛るなど安全な形に固定してからスイッチを入れる。
画面を表示したままで重いハードディスクがキーボードを直撃しており、データの保存は絶望的だった。
保存状態によってこれからの寺務が天と地ほどに違う。
意外にも、檀家管理や機関誌などのデータはすべて生きていた。
ブログもメールも大丈夫。
溜まっていた山ほどのメールにまたまた感激して、涙があふれる。
連載中の原稿2本を一気に仕上げ、2社へ送信する。
以前の〈日常生活〉が一気に復活する。
夕刻、B家同様、以前から相談にこられていたDさん夫婦が現れる。
ご母堂様が亡くなられた。
どんなに辛い時も笑顔を絶やさず、子供好きだった母親を盛大に送りたかったがどうしようもなく、自宅での家族葬にしたいという。
明日の枕経を約束する。
修法 を終え、夜、久々に妻と並んでテレビの前に座ったが、お互いに無言。
原発 の事故 は案の定、悪化の一途をたどっている。
電話はどこともつながらない。
さっき、どうしてB家と話ができたのだろう。
余震は続く。
普段なら飛び起きるような強さでも、もう、慌てない。
クロも逃げない。
慣れとはこういうものか。
ミシミシと壁が鳴り、だんだん揺れる場合は震源地が遠いのだろう。
ドシンと来るのはもちろん近い。
ゴーと地鳴りがしてから揺れる場合はどうなのか。
ふり返ってみると、慣れた反面これまでとはけた違いに、敏感になっている。
私がこの状態であるならば、神経の細やかな方々のお気持はいかなる状態なのか。
また、あの方、この方と思い出す。
揺れが少なくなり、眠った。
〈細いテグス糸が張ってあるだけで、棚に固定されていなかったにもかかわらず一体も飛び出さなかったのは本当に不思議〉
〈身代わりとなって共同墓の基壇から一体だけ落ちたお不動 様〉
【四日目(3月14日)】
いつも3時か4時に起床しているので、5時過ぎまで寝ているのは辛い。
避難所で眠れない方々がたくさんおられるのに不謹慎だが、仕方がない。
暖房を節約せねばならず、風邪もひけないので、布団の中で明るくなるのを待つしかない。
ようやく起きて祈っていると新聞が届く。
河北新報は14日号、読売新聞は13日号である。
紙面については書かない。
それにしても、毎日、律儀に広告が入っているのは奇異な感じがする。
一体誰が「売り出し」へはせ参ずるのか。
ラジオは東京電力の計画停電 について報じている。
「この計画が成功し、順調に電力が供給できるかどうかは国民の協力にかかっています」
国民生活が変わる。経済活動が変わる。日本が変わる。
それにしても、圧倒的な比重で日本の命運を握っているのは、やはり、原発 である。
政府の発表が慎重なだけに、危機は高まっているのだろうと思う。
ラジオは励ましのメッセージも次々と流すようになった。
「東北がんばれ!」
日本人の心はこのまま復興へ向かうのか、それとも一時の高揚と感傷で終わるのか。
クロが朝からまとわりつく。
餌も食べるようになった。
もう、余震は大丈夫なのだろうか。
それにしても、足許に近すぎる。
やはり警戒しているのか。
Aさん宅へパソコンを受け取りに行くが留守で「9時に戻ります」との張り紙。
近くのBさん宅へ立ち寄ったところ、カー用の充電器を貸してくれた。
ありがたい。
充電しながら移動している途中、携帯電話が鳴る。
急いで手に取ると、何とご葬儀 の依頼。
昨年から相談に来られていたBさんが亡くなり、泉中央駅前の葬祭会館に安置されているという。
枕経へ行く約束をして帰山したところへ、Cさんが弟さんと娘さんを連れて応援に来られる。
ご実家は最も津波による被害が激しい陸前高田市で、やや高台にある実家は大丈夫かも知れないが本家はだめだろうとのこと。
もちろん、故郷の誰とも連絡はついていない。
靴を脱いで共同墓『法楽の礎』の基壇に登り、あちらこちらを向いた十三仏様の向きをなおし、パッキンをかる。
適度に柔軟性のある接着剤でとめられていたので、動いても落ちなかったのだろう。
唯一、基壇から落ちたのがお不動 様だったのは、奴僕(ヌボク…奴隷)の心がそうさせたに違いない。
それにしても、小さな円筒型で安定性が薄い壇上にある大きな大日如来が後ろ向きになってもほぼ、位置を変えず、落ちなかったのにはあらためて驚く。
建物を造ってくださった寺院サービス社の社長が、棟梁を伴ってチェックにこられた。
ご本尊様もお大師様もお不動 様も、そして壁の側面に祀った150体の守本尊様方も無事だったのにはさすがに感激された様子で、念入りにお詣りされた。
建物は天井の照明がつり下がったり、100坪ある基礎の隅がやや欠けた程度で、ピンとしている。
柱も梁もあの激震に耐え、よくこれだけ大きな空間を守ってくれたものだ。
技術の確かさに一層、信頼を深める。
当山の建設にも尽力してくださった浜辺に住む職人さんと連絡がとれず、海岸近くに建てた寺院などはすべて助かっていないだろうという。
見に行こうにも道路は通れず、ガソリンも少なく、なすすべがない。
「材木の手当も、職人の確保も、事務所の後片づけもどうにもならず、これからのことは何も考えようがありません」
昼食を摂る間もなく、空きっ腹のまま会館へ向かう。
通電しているが照明はつかず、もちろんエレベーターも動かず、水も出ず、担当者は皆、私服である。
着替え用にと通された部屋は、天井から落ちた煤が机も床も埋め尽くしている。
長期間に渡って闘病を続けた方が亡くなり、覚悟していたとはいえ、皆さん、放然としておられる。
こうした時期に無事赤ん坊が生まれた報道もあったが、実に、人の生死 は時を選ばない。
いつもどおりに不動 明王の結界を張って御霊をお守りし、枕経の意味をご説明申し上げる。
今後の日程は決めようがない。
斎場と電話がつながらず、炉の破損状況もわからないからだ。
交通量がいつもの半分もなく、交通信号もところどころ消えている町を速やかに通過して帰山する途中、東北電力関係の工事を行うユアテックの車が何台も停まっており、間もない通電を確信する。
インスタントラーメンをかき込み、妻を外回りに出してまもなく、メモをとっている机の脇で印刷機がクーッと音を出す。
通電だ!
デスクトップパソコンに走り、ロープで縛るなど安全な形に固定してからスイッチを入れる。
画面を表示したままで重いハードディスクがキーボードを直撃しており、データの保存は絶望的だった。
保存状態によってこれからの寺務が天と地ほどに違う。
意外にも、檀家管理や機関誌などのデータはすべて生きていた。
ブログもメールも大丈夫。
溜まっていた山ほどのメールにまたまた感激して、涙があふれる。
連載中の原稿2本を一気に仕上げ、2社へ送信する。
以前の〈日常生活〉が一気に復活する。
夕刻、B家同様、以前から相談にこられていたDさん夫婦が現れる。
ご母堂様が亡くなられた。
どんなに辛い時も笑顔を絶やさず、子供好きだった母親を盛大に送りたかったがどうしようもなく、自宅での家族葬にしたいという。
明日の枕経を約束する。
修法 を終え、夜、久々に妻と並んでテレビの前に座ったが、お互いに無言。
原発 の事故 は案の定、悪化の一途をたどっている。
電話はどこともつながらない。
さっき、どうしてB家と話ができたのだろう。
余震は続く。
普段なら飛び起きるような強さでも、もう、慌てない。
クロも逃げない。
慣れとはこういうものか。
ミシミシと壁が鳴り、だんだん揺れる場合は震源地が遠いのだろう。
ドシンと来るのはもちろん近い。
ゴーと地鳴りがしてから揺れる場合はどうなのか。
ふり返ってみると、慣れた反面これまでとはけた違いに、敏感になっている。
私がこの状態であるならば、神経の細やかな方々のお気持はいかなる状態なのか。
また、あの方、この方と思い出す。
揺れが少なくなり、眠った。
〈細いテグス糸が張ってあるだけで、棚に固定されていなかったにもかかわらず一体も飛び出さなかったのは本当に不思議〉

〈身代わりとなって共同墓の基壇から一体だけ落ちたお不動 様〉
