一寺院 における東北関東大震災被災記録 である。

【三日目(3月13日)】

 払暁、夢を見る。
 ジャンパー姿をした中年の男性が相次いで6人、現れては消えた。
 顔は判然としないが、布施行や持戒行を導いてくださる六波羅密 菩薩 (ロッパラミツボサツ)様であると確信した。
 なぜなら、お一人が現れるたびに、それぞれ「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」と感じたからである。
 そして、本地垂迹 (ホンチスイジャク)が真実であることも知った。
 日本における神々は、み仏方が化身となって現れた権現(ゴンゲン)であるとするのが本地垂迹 (ホンチスイジャク)説である。
 お不動様も、お地蔵様も、観音様も、さまざまな形をとって私たちをお救いくださると経典に銘記されている。
 ならば、み仏が日本の神々となり、神々が非常事態に際して被災 現場ではたらくジャンパー姿の屈強な男となられて何の不思議があろうか。
 この国難を乗り越え、原発から放たれるであろう放射能の悪魔に耐えきれたならば、六波羅密 菩薩 (ロッパラミツボサツ)様を祀り、神社を建てたいと願う。

 文字が読めるまで明るくなるのを待って、「大日法」「不動法」「大師法」を修する。
 また、河北新報が届いた。
 読売新聞の12日号も届いた。
 朝日新聞はこない。

 墓石業者のAさんが見回りにきてくださった。
 お地蔵様を起こせるわけではなく、一人の人力でできることは限られているが、足をはこんでくださったのはとにかく、ありがたい。
 安部屋さんで石倉地区に通電 したことを聞いて、携帯電話の充電に走る。
 かつて講演したことのある集会所近くのお宅へ飛び込んだ。
 ご近所の方々が集まって注視しているテレビの画面に驚いた。
 かつて、写真でも見たことがなく、想像もできなかった光景が延々と流されている。
 しかし、今、ここで生きている人々は言葉を交わす。
「ヤマザワではレジが仕えないから、ジュースなどは皆、百円均一で売ってくれたよ」
「今、子供たちがリュックを背負って犬たちの餌を探しに行っている」
「ガソリンスタンドでもどこでも、皆、ちゃんと並んでいたよ。日本人で良かったと思うね」

 電気も水もない娘がご飯をもらいにくる。
 Bさん親子が水をもらいに来て、米をといで帰った。
 純和風建築のお宅は壁と瓦がすべて落ちたという。

 Aさんがもう一度来て、できる限りの修理をやってくださる。

 Cさんが水をもらいに来る。
 常々、足が遠ざかっていたことを詫び、墓所の年間管理料を納める。
 近々に予定している年忌供養の打ち合わせをした。
 何となく現実感がない。
 本当にこのまま、予定通りやれるのだろうか。

 近くまででかけているうちに、利府町の墓石業者Dさんがご夫婦で来られたという。
「何でも申しつけてください」と名刺を残された。
 ありがたい。

 AさんとCさんがまた、水をもらいにくる。

 Dさんのあたりでも通電 されたと聞き、ペットボトルの水を土産としてノートパソコン、携帯電話、カメラの充電に向かう。
 夕べは水も電気もなく、近所の息子さん宅へお嫁さんと孫の様子を見に行った。
 たった今、帰宅したら電気がついて、掃除にとりかかったところだという。
 大阪に出張している息子さんは東京までは戻ったが、そこから北へ向かう手段がない。
 Dさんご夫婦は後片づけに余念がなく、仏壇の前でご供養している間の充電だった。

 帰山してメモの作成にとりかかったが、間もなくOFFとなった。
 携帯電話も通じず、役に立たない。
 もう一度Dさん宅を訪ね、充電のためパソコンを一晩泊めていただく。
 Dさんは明朝6時前に会社へ向かうらしい。
 帰山すると、ラジオから政府の要望が聞こえる。
「電気の供給が危うい。不要不急の電気を使わぬよう、産業界も一般家庭も協力して欲しい」

 文字が見えなくなるまで修法する。
 おそらくは数万人にものぼるであろう犠牲者の菩提を弔うにはあまりに微力だが、ただ、やるしかない。
 やらないではいられない。
 ああ、あの人も、あの人も、無事だろうか……。

〈忍辱波羅密菩薩 (ニンニクハラミツボサツ)は鏡を持つ。
 すべての現象は鏡面に映ったも影像のように確たる存在ではなく、鏡に映す菩薩 の微笑のみが真実である。〉
 
ninnniku.jpg