昨夕、4日ぶりにメールを開いてみて感激しました。
 存じ上げている方々からも、見知らぬ方々からもたくさんの安否 を問い、励ますお便りが届いていたからです。
 今から急逝された方の自宅葬に駆けつけねばならず、すべての方々へご返事を書けるのがいつになるかわかりませんが、失礼ながらここで皆さんへ心よりお礼申し上げておきます。
 本当に本当にありがとうございました。

 昨夜、テレビを見て絶句しました。
 瓦礫の山と化したふるさと南三陸町を眺める被災者は「何も考えられません」と放心したように語っていました。
 Aさんもこんなメールを寄せられました。
「Aです。
 住職ご夫妻共に御無事で何よりです。
 こちらも夫共に無事です。
 幸いにも大きな被害はありませんでした。
 地震発生と同時に自分が無意識に『不動明王 』の真言 を唱えまくっていたことには驚きです。
 神も仏も信じなかったはずなんでが・・・・。(笑)
 状況はまさに『神も仏も~』という感じなんですが、仏とはヒトの『仏性 』のことなんじゃないかとかいろんなものが見えてきていて穏かに過ごしていた矢先の出来事でした。
 この先のことなどどうなるか分からない状況ですが、局地的にマグニチュード10位の出来事を経験した(?)自分は驚くほど静かな心境です。なんなんでしょうね…。」
 今はただ頭を垂れ、手を合わせるしかありません。
 しかし、実は、この〈静けさ〉こそが、私たちの失いつつある大切な心のありようなのではないでしょうか?

 それにしても、電話がほとんどつながらないので皆さんの安否 がわからず、心配でなりません。
 無事を祈っています。

 以下、当日のメモを書きとめておきます。






【二日目(3月12日)】

 朝、河北新報が届いたのには驚き、今朝まで続いた大揺れの中で必死に原稿をまとめ、印刷し、配送したプロ根性には心底、脱帽の思いである。
 昨日、ビルにあって肝を潰すほどの揺れを感じながら一時たりとも音声を途切らせなかったラジオ局の方々、そして新聞関係の方々は私たちの誇りである。

 修法中にBさんが来山された。
 車イスの奥さんと買い物をしていて地震に見舞われ、地下売り場から階段を登る時、周囲の人々が我先に手伝ってくれたという。
 車が駐車場から出せなくなり途方に暮れていたら、バッタリ会った昔の部下が、車を貸してくれたという。
 暖房がないので薬局へ行ったらもう何もなく、車イスを見た店長が独断で「寒いでしょうから、これを使ってください」とホッカイロをくれたという。
 
 丹野君がやってきて、寺務所の整理にとりかかってくれた。
 いつものことながら仕事は手早い。

 寺子屋 の予定も、「ゆかり人の会 」の役員会の予定も、もちろん、自然消滅である。
 問い合わせの電話すらつながらない。

 娘が孫を連れて石油ストーブを探しにやってきた。
 古い本堂に一つあったが、建物の土台は崩れ、割れたガラス戸も外れているという。
 電気も水道もなく、一家4人、どうしようもないという。
 後から、土鍋で炊いたご飯をおにぎりにして届けた。
 皆さんからいただいた米がたくさんあったのでその点は安心だった。
 いざとなれば川から水を汲み、薪を拾って炊けばしのげる。
 托鉢の日々を思い出す。
 一握りの米や一個のリンゴや一つの硬貨をいただき、一つの缶詰を妻と分け合って食べたあの頃、米があるということは安心の土台だった。
 私たちの生活は、米を作る環境が近くにあって初めて真の安心を得られ、心の健全さも保たれるのではなかろうか。
 日本中を、あるいは地球上を地域ごとの役割によって分割し、無限に発達する交通網や輸送網で便利に結べばよいという考えは幻想ではないか。

 東電の福島第一原発2号機で原子炉の水位低下が始まり、近隣住民へ避難指示が出た。
 私には「やはり」としか思えない。
 東京都墨田区の新電波塔「東京スカイツリー」建設に、私たちの文明が色濃く孕む傲慢を感じる人は、あまりいないのだろうか。
 訝(イブカ)しくてならない。
 最近、どこかで、故内田百閒(ヒャッケン)の名句「なんでも知っている馬鹿もいる」を久方ぶりに目にした。
 モノを知っているだけでは人間としてどうにもならないという意味だったと記憶するが、私には、〈知り尽くしていると考える危うさ〉への指摘とも受け取れる。
 そもそも、真摯に知ろうとすればするほど、知っていない領分が広がっていることに気づくはずである。
 名医は言う。
「自分の力などで病気は治せない。患者さんの自己快癒力が高まるよう、わずかなお手伝いをさせてもらっているだけである」
 不可知の領域への畏敬の念が宗教心の核であるならば、私たちは、あまりに宗教心から離れすぎていたのだ。
 原発のメルトダウン(炉心溶融)は日本が廃墟となる日へのカウントダウンかも知れない。
 しかし、世界が生き残り、生き残った人々にとってこの事故が深い教訓となれば──、それもやむを得ない。」

 地球上ではこれまで、崩壊するなどと想像されなかったはずの高度な文明がいくつも消滅してきた。
 識者は、いろいろと原因を探すが、よくわからないものが多いという。
 もしかすると、それは形のない心の問題だからではなかろうか。
 そうだとすると……。

〈寄り添って〉
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