皆さん、法楽寺
は生きています。
ご本尊大日如来
様も、お不動
様も、お大師
様も無事です。
東日本大震災
は未曾有の天災でしたが、住職
夫婦も無事です。
ご心配をおかけしました。
こうしてまた、皆さんへ仏法のメッセージを発信することができて、感激にたえません。
これはすべて、仏神のご加護と、皆さんのお心のたまものです。
皆さん、本当に、ありがとうございました。
当山の墓苑をお守りくださる石像のお地蔵様やお大師
様やお不動
様、そして五輪の塔や灯籠などは、墓石のほとんどが無事であったことと我が身をひき替えるかのように、倒壊し尽くしました。
たくさんのご縁をいただいている共同墓『法楽の礎』は碑盤一枚落ちることなく、まったく無傷です。
ただし、十三仏様のお不動
様が倒壊し、根本仏大日如来
様はクルッと後ろ向きになりました。
ご縁の御霊がすべてお守りいただいたことは一段の感激です。
それにしても沿岸部をはじめとする地域の方々の被災ぶりは言葉になりません。
ついさっき、通電するまで、この3日間、文字が読めるかぎり「大日法」「不動
法」「大師
法」を重ねて修法していました。
御霊方の安らぎのため、被災者の方々の安寧と再出発のため、そして、日本がふたたび力強く立ち上がるため、これからも修法し続けます。
以下、後世のために、一住職
の過ごした日々を記しておきます。
【一日目(3月11日)】
3月11日午後2時30分過ぎ、宮床郵便局にいると突然強い地震にみまわれ、立ち話をしていた郵便局長と一緒にスタンドテーブルにつかまった。
これは何のだという感じで揺れがどんどん強まり、作業着を着た年配の男性と、野良着姿のお婆さんも木製のイスに座したまま「何だべねえ」とつぶやいた。
局長は男女二人の若い職員へ「機材の下敷きになるなよ!」と指示したものの、動くこともできず、皆で「宮城県沖地震より強い」などと言葉を交わしながら、じっと弱まるのを待った。
郵便局の機器はストップしたが、地震発生の直前にやりとりが終わっていたので、いつ届くかわからない数通の郵便物を依頼し、ずいぶん長かったなあと思いつつ、急いで帰山した。
カーラジオは、
「10メートルを超える津波が予想されます!」
「すでに到達していると思われるところもあります!」
と、緊迫した調子で報じている。
「来るべきものが来た」
すっかり観念し、舞い始めた吹雪をついて寺に着いたとたん、また、大きな揺れに襲われた。
ちょうどAさん親子が参詣しておられ、妻と4人で立ったまま、ご本尊様が揺れるのを眺めていた。
「さっきはもっと凄かったんですよ!
ご本尊様が凄く揺れて、倒れるかと思いました」
Aさんに言われ、あらためてよく見ると、ご本尊様は以前とまったく同じ位置におられ、正面のお大師
様も、右横のお不動
様も向き少しを変えただけで倒れてはいない。
外陣両側の壁にお祀りしてある150体の守本尊
様方も、一体残らず無事である。
ありがたいと手を合わせる間もなく相次いで余震が襲来し、ご主人を自宅に残したままのAさんは、電話が不通と知って飲みかけのコーヒーを流し込み、急いで帰宅した。
コーヒーを飲んで一息つき、ご本尊様を金色に輝かせていたライトが消えて暗くなった内陣へ入った。
お不動
様右脇のコンガラ童子は壇上におられた。
左のセイタカ童子は床へ落ちていたが、異常ない。
不思議にも、握った掌の空間を通っていた細長い木製の金剛杖は手から抜け出て遠くへ飛び、折れていなかった。
ご本尊様の前机にある高さ1メートル半ほどの常華などはすべて倒れていた。
位牌棚へ行ってみたら、ほとんどが倒れたり床へ落ちたりしていた。
自分で手作りしたあまり奥行きのない壇ゆえ、もうしわけないとの思いに頭を垂れ合掌した。
余震が続き、まだまだ予断は許さないが、又落ちるかも知れないからといってそのままにしてはおけず、できる限り元へ戻した。
境内地を見回る。
共同墓は碑盤一枚落ちず、個人のお墓も大震災の割には、大した被害ではない。
ただし、十三仏の主尊大日如来
は不思議なことにまったく後ろ向きになってしまった。
落ちているのは不動
明王だけである。
弘法大師
、身代わり地蔵、灯籠、五輪の塔も倒壊した。
身代わりとなって御霊方をお守りくださったのではなかろうか。
パソコンのハードディスクなどが倒れ、印刷機は居場所を変え、手のつけようがないほどの惨状となっている寺務所の片付けに着手したころ、見に見えて陽がかげり始めた。
袈裟衣で修法壇へ上がれる状態ではないので、暗くならないうちにジャンバーを着たまま袈裟を着け、参拝者の座る場所で修法していた時、丹野君が着た。
彼は、塩釜市に住む両親のうち、母親はデイサービスの日なので比較的安心だが、一人で家を守る父親と連絡がとれず心配だ。
しかし、車で行ってみようにも大被害があった沿岸部方面ではどうにもならない。
明日、明るくなってから会社の様子を見た上で向かうという。
水道は使えるが電気と電話が止まった。
ガスはプロパンなので復旧ボタンを押し、妻が土鍋で炊いたご飯を丹野君へ持たせ、早々に帰宅させた。
携帯電話を開けてみるとBさんから何度も着信している。
折り返し電話をしてみるが通じない。
Bさんの奥さんは人工透析を行っているので、もしかしてどこか紹介してくれないかという切迫した状態ではないかと心配だ。
ラジオからは想像を絶する状況が報告され続けている。
何度もくり返し
「あっ。また大きな揺れがきました!皆さん落ち着いてください!どうぞ声をかけ合って待避してください」
と訴えている。
おそらくアナウンサーのいる部屋は地上何階かであろう。
きっと、自分への言葉でもあるだろうと思いながら、逃げない人の心に合掌した。
停電したままで、携帯電話も通じない。
ローソクを届けるため、真っ暗になった道を長女の家へ向かう。
もうすぐ80歳になる地元のCさんが何事もなかったかのように、いつも通り、犬を散歩させている。
太平洋戦争を生き延びた人生の達人はやはり、違う。
愛猫クロは隠れっぱなし。
たまに顔を見せても飲まず食わずで、小刻みな震えが止まらない。
デリケートなのだ。
それとも、もっと大きな地震がくるのだろうか。
真っ暗な本堂に座り、供養
法、ご加持法を行う。
明日、夜が明けてから「大日法」「不動
法」「大師
法」を結ぼうと思う。