かつては江戸 時代の寺子屋 などで盛んに学ばれていた人倫の基礎を説く『実語教 (ジツゴキョウ)・童子教 (ドウジキョウ)』について記します。
 私たちの宝ものである『実語教童子教 』が家庭や学校の現場で用いられるよう願ってやみません。

四等(シトウ)の船(フネ)に乗(ノ)らずんば、
誰(タレ)か八苦(ハック)の海(ウミ)を渡(ワタ)らん。


(慈・悲・喜・捨の四無量心を誰に対しても平等に起こさねば、四苦八苦 のこの世を乗りきってはゆけない)

 前回にひき続き、今回は「八苦」を考えます。
 江戸 時代の庶民が子供の頃から「この世は四苦八苦 の巷(チマタ)」と教えられていたことは特筆に値します。
 私たちが宿命として背負っている苦は、「 苦(ショウク)」に始まります。
 この世に一人の子供が まれ出る時からすでに、 む者も まれる者も苦しみや危険を伴い、しかも、親は意識して子供を選べず、子供もまた親を選べないという宿命を背負っているという感覚は、喜怒哀楽や好き嫌いや損得に流されるのとは異なる〈深い精神〉のはたらきを育てたのではないでしょうか。
 ままならない〈 〉を家族として、あるいはご近所さんとして、共に きる者同士には〈ある連帯感〉があったのではないでしょうか。
 落語の物語はすべて、この連帯感を影の主題として成り立っているように思われます。

 共に きていれば、否が応でも「 苦」「 苦」「 苦」は誰の目にも明らかであり、 いて賢者となった人の 苦や 苦は、周囲の人々にも実感として共有されたことでしょう。
 子供が小さいうちから を必ず自分にもやってくる宿命と感じ、苦にある人へ手を差しのべる日常 活は、心に大事なものを育てていたはずです。
 現代のように亡くなった家族を家の中に放置したまま何喰わぬ顔で 活し続けるなど、考えられなかったことでしょう。

 愛する者との別れに耐えること、憎い者に出逢った時の心の持ちよう、こうした心の修行もまた、兄弟であれ、親や祖父母であれ、 であれ、ご近所さんであれ、宿命と対峙して きてきた人 の先輩がいろいろと指導したはずです。

 清貧(セイヒン)は美徳でした。
 たとえいかに能力や人徳があっても、ひけらかさず、華美な 活を求めず、いのちを永らえられる程度の環境で憩い、きちんと社会的役割を果たすといったイメージこそが万人の理想であり、出世した人々や成り上がった人々もまた、そうした尺度で社会のどこからか測られていたはずです。
 この言葉は言外にモノや金や地位や名誉などを貪る者への軽蔑を含んでおり、貴賤を問わず、人々の品格の基礎になっていたと考えられます。

 勤勉も美徳でした。
 規則正しい 活を行い、心身を整え、鍛錬することは、社会人として基本中の基本です。
 なぜなら、お互いに自分を律してこそ、お互いのためになれるからです。
 自分をだらけさせるのは、百害あって一利なしです。
 元気なら、わがまま放題で周囲を困らせ、たとえ自業自得でも心身が不調になればまた、見捨てておけない周囲を困らせるからです。

 そもそも仕事とは何でしょうか?
 辞書などには「 きるために行うこと」「すること」「すべきこと」「職業」といった意味が書いてあります。
 しかし、実際に仕事へすべてをかけている者の実感としては、まったく異なる思いがあります。
 仕事は「事に仕(ツカ)える」と書きます。
「仕える」の発祥は神仏への祈りから始まっているのではないでしょうか。
「見えざる事(コト)ヘお仕えする」のが仕事の原意だったはずです。
 なればこそ、いかなる分野であれ、仕事人は自分の人 の幹を捧げています。
 捧げている者は、〈きちんと捧げることができる者としての自分〉を保つために、必ず自分を律します。
 仕事の種類によってそれぞれスタイルは異なっていても、自分を律しない〈プロ〉はいません。
 仕事からこうした本意が忘れられ、仕事がただ単にお金を得るための手段でしかないならば、あるいは仕事を仕切る側がはたらく人々を道具としか考えないならば、人は「 きがい」をもって きられるでしょうか?
 なぜ、勤勉が美徳なのか、仕事とは何なのか、よく考える必要がありそうです。

 ここまでで、四苦八苦 を考えました、
 江戸 時代の庶民がどのように 苦(ショクク)・ 苦(ロウク)・ 苦(ビョウク)・ 苦(シク)・愛別離苦(アイベツリク…愛する相手と別れる苦)・怨憎会苦(オンゾウエク…憎い相手とめぐり会う苦)・求不得苦(グフトクク…求めて得られない苦)・五蘊盛苦(ゴウンジョウク…心身や環境から まれる苦)に対処していたのか、想像するのは意義あることです。

〈帰り行く〉
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