あと2週間後にお大師 様がみまかられた日に祈る「青葉祭彼岸 供養 会と一緒に行います)」をひかえた第一例祭の朝、長らく見つからないでいた掛け軸の在処(アリカ)に突然、おもいあたり探してみたところ、案の定、ありました。
 その掛け軸は、もう三回忌も済んだ同級生A君がボランティア活動で中国へ行った際、わざわざお大師 様が学ばれた青龍寺を訪れ、買ってきてくれた掛け軸です。
 A君は、托鉢僧だった私が仙台市で修行道場を開いてまもない頃、まだ小さなあばら屋だったにもかかわらず、業界の重鎮を務めた父親の葬儀を依頼され、当山にとって最初のご葬儀となりました。
 ああ、A君が教えてくれたのかと感じる一方で、逝かれた方々がしきりに思い出され、特に、当山との縁を喜び、生前戒名を求めて弟子となったBさんが骨壺に納められて帰ってきた日の光景がはっきりとよみがえりました。

 護摩 法に入る頃は、
「今日は万霊供養 のお焼香から始まる第一例祭だし、あの世 の方々が皆さん、お集まりになられるのだうな」
という思いが強まり、修法時に唱える文章が頭にチラチラしていました。

冥衆 (ミョウジュウ)定(サダ)んで降臨(ゴウリン)影向(ヨウゴウ)したまうらん」 ─弘法大師 法─
「上天下界の神祇(ジンギ)冥衆 定(サダ)んで来臨(ライリン)影向(ヨウゴウ)し給うらん」 ─毘沙門天 (ビシャモンテン)法─

冥衆 」は、一般的には神々や鬼などの目に見えない世界の存在を指し、「神祇」は神々、「降臨」「影向」「来臨」は、いずれもこの場を訪れてくださることです。
 私はこうしたお招きとご供養 の文を唱えるたびに、先に逝かれた方々もまた、そうした異界の存在と一緒に修法を喜び、お守りくださっていると感じています。

 そんな心で護摩 法を始めてまもなく、炉へ入れるために3本づつ手にした護摩 木の文字に目を奪われました。
 亡きBさんの名前と願いが書かれていたからです。
 今回、護摩 木を書いてくださったのは口の堅い篤信の方で、消したはずの名簿のどこかに残っていた内容をそのまま記入したのでしょうが、こんなことはもちろん、初めてです。
 もちろん、護摩 木は一体づつきちんと目を通し、祈りつつ炉へ入れますが、一瞬手が止まらざるを得ませんでした。
 Bさんの護摩 木を燃やしつつ、A君が納めてくれた掛け軸をお清めします。
 何というありがたい時間でしょうか。

 さて、お茶になってさらに驚きました。
 お子さんたちを伴ってお詣りされていたCさんもまた、「Bさんが亡くなって一周忌も過ぎたからご供養 に行かなきゃ」と考え、足をはこんでいたのです。
 そして、Cさんがそろってご来山されたもう一つの目的は、さらに当山との仏縁を深めるためのうちあわせでした。
 目に見えない冥界(メイカイ…冥土)におられる方々のご守護 は確かです。
 守本尊 様方も、神々も、あの世 の諸霊も、心の鏡に映るともなく映ってくださるのです。

〈A君寄贈の掛け軸 青龍寺(中国西安)の管長が書かれました〉
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〈お習字の会で、先生が模写してくださったお大師 様の遺墨〉
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大師 様の遺墨〉
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