次回、この物語について考えてみましょう。釈尊がシュラーヴァスティーにおられた時のできごとです。
知恵がまわらない性分なのに出家修行者 となったチューラパンタカ は、三年間学んでも、たった一つの文章すら覚えられませんでした。
行者 たちで彼の愚かなことを知らぬ者はいません。
そこで釈尊はこう指導されました。
「口ではつまらぬことを言うな。
心では我がままを抑えよ。
身体では悪いことをするな。
こうして生きれば、悟りを開けるであろう」
わざわざ自分のために一句を説いてくださったお慈悲に深く感じ入ったチューラパンタカ は、愚かな心の扉が開かれ、聞いた教えを暗唱できました。
そこで釈尊は、重ねて言いました。
「お前はもう、年老いた。
そして今、貴重な教えを知った。
他の行者 たちはこの教えをすでに知っているあるが、だからといって彼等が特に勝れているというわけでもない。
今からその内容を説くので、銘記せよ」
釈尊は、身体と言葉と心との三つにそれぞれ戒めがあり、三つを通じていかに迷いが起こるか、そしていかにすれば三つを清められるかを説きました。
身口意 のはたらき方によって地獄 界や天界などへ輪廻転生 し、あるいは仏道を成就して覚り、何ものにも左右されない境地へも入られなど、身口意 に関するたくさんの教えを説きました。
チューラパンタカ の心はさらに開け、アラカン の悟りを得ました。
その頃、五百人の尼僧がいる精舎へ毎日一人、釈尊の弟子が説法へ行くことになっていました。
明日、チューラパンタカ が訪れると知った尼僧たちは、「どうせろくな説法などできはしないだろうから、皆で逆に説法してやり、グーの根も出ないようにしてやりましょう」と笑いあいました。
さて、翌日、チューラパンタカ を迎えに出た尼僧たちは老いも若きも笑いを含んだ目配せを交わしました。
作法通り、食事をいただき、手を洗って説法の座に登ったチューラパンタカ は、謙遜の態度をもって説法し始めました。
「徳が薄く才能もない私は、年老いてから出家しました。
才知が鈍い性分なのでたくさんは学べませんでした。
たった一つの教えを知り、その意味するところを大まかに理解しているだけです。
これからその話をしましょう。
どうぞ、ご静粛に耳を貸してください」
逆に説法してやろうと待ちかまえていた尼僧たちは声も出せず、チューラパンタカ の変貌ぶりに驚き、悔い改めて深く敬いました。
チューラパンタカ は、釈尊から学んだとおり、身体と言葉と心とがはたらいている状態、そうなっている原因、精神的罪福と肉体的罪福、あるいは精神集中して心を安定させる方法などを説きました。
説法を聞いた尼僧たちは、自分たちのありようが道に外れていたことに深く気づき、真理を知って喜び、揃ってアラカン の悟りを得ました。
後日、国王が釈尊と修行者 たちを儀式用の御殿へ招きました。
釈尊はチューラパンタカ の法力を発揮させようと、一行の後から鉢を持ってついてくるように命じました。
御殿の門番は、正装をせず、愚鈍で名高いチューラパンタカ を押しとどめました。
「お前は、行者 になったからといって何も会得していないそうではないか。
こうした場に招かれたからといって一体、何ができるのか。
私は俗人だが、教えの一つぐらいは知っているぞ。
智慧なき行者 などあるものか。
お前に施したからといった何の役にも立たない。
ここから入ってはならない」
こうしてチューラパンタカ は一人、門外に残されました。
さて、釈尊が聖水を注ぐ作法に入った時です。
外にいるチューラパンタカ が鉢を捧げて腕を伸ばすと、どこからともなく聖水をたたえた鉢を持った腕が現れ、上座に座る釈尊へ渡しました。
国王はじめ皆は奇瑞に驚き、釈尊へ、いったい誰の腕ですかと訊ねました。
「これはチューラパンタカ のものです。
彼は最近、悟りを開いたので私は鉢を持たせたのですが、門番が入れてくれません。
だから、チューラパンタカ はこうやって私へ鉢を届けたのです」
ただちに招き入れられたチューラパンタカ は、いつもに増して威厳に満ちています。
国王は訊ねました。
「愚鈍なチューラパンタカ は、たった一つの文しか知らないと聞き及んでいますが、いかなる方法で覚ったのですか?」
釈尊は答えました。
「必ずしもたくさん学んでいなくとも、教えを実践する方が悟りへ近づけるのです。
チューラパンタカ は確かにたった一つしか知りませんが、それを熟考し、実践し、奥義に到達し、もはや彼の身口意 は煩悩による乱れから離れきりました。
彼の心身は、天界でじっと光っている金のように清浄です。
人々はいかにたくさん学んだからといって、熟考せず、理解せず、実践しなければ、ただ知識を増やしただけに過ぎず、悟りは開けません」
そして、詩の形で教えを説きました。
「たとえ千の教えを暗唱できたとて、その真理真実を正しく理解できなければ
たった一つの教えを聞いて修行の要とし、煩悩の火を滅することに及ばない。
たとえ千の教えを暗唱できたとて、その意義を理解していなければ一体何の役に立とうか。
たった一つの教えであっても聞いて意義に気づき、実践して覚ることが肝要である。
たとえ多くの教えを暗唱したからといって、きちんと理解していなければ一体何の役に立とうか。
たった一つの教えであっても理解し、実践すれば、仏道を成就できるのである」
釈尊が説き終わった瞬間、三百人の行者 たちはアラカン の悟りを開き、国王はじめ全員が歓喜しました。
〈それぞれに〉
