かつては江戸時代寺子屋 などで盛んに学ばれていた人倫 の基礎を説く『実語教 (ジツゴキョウ)・童子教 (ドウジキョウ)』について記します。
 私たちの宝ものである『実語教童子教 』が家庭や学校の現場で用いられるよう願ってやみません。

14 学びと修行 の門

三学 (サンガク)の友(トモ)に交(マジ)わらずんば、
何(ナン)ぞ七覚 (シチカク)の林(ハヤシ)に遊(アソ)ばん。


三学 をめざす友と交わらなければ、七覚修行 はできない)

①どう生きたらよいかを考えるなら、人の道を教える仏法を学びましょう。
 学んだ内容が心の血肉となり、智慧となれば、まっとうな判断ができるようになり、生きる目標もみつかります。
 「三学 」とは、「 (カイ)」「定(ジョウ)」「慧(エ)」です。
 仏法を学ぶとは、 ・定・慧の三学 を探求することです。
 まず、「 」は めです。
 「不殺生(フセッショウ)」や「不偸盗(フチュウトウ)」などの めを守り、みだりな殺生や、自分のものでないものを自由にすることができなくなれば、煩悩 によって乱れ騒ぐ心は清浄に澄んできます。
 ここが入り口であり、日々の生活をきちんと制御できない人はその先へ進めません。
 生活ぶりを整えることが第一です。
 次の「定」は心の平安です。
 瞑想などによって心に安らぎがもたらされなければ、その場しのぎの知恵は浮かんでも、人の道に沿った智慧は輝きません。
 そして、「慧」は自己中心と反対の考え方を与え、身体のはたらきも、言葉のはたらきも、心のはたらきも仏性に導かれた方向へと解放します。
  によって煩悩 の支配を脱し、定によって煩悩 の隅々まで見通し、慧によって煩悩 が生じなくなり、欲は自他を救わずにいられない大欲(タイヨク)へとレベルアップします。

修行 の進み具合が7つの面から説かれ、「七覚 支」となっています。
 覚りへ向かう道筋です。
 まず、智慧をはたらかせて、教えの真偽を確かめます。
 次に、信じた教えの実践に励みます。
 次に、教えのありがたさが身に染みて、喜びが生じます
 次に、心身が解放されます。
 次に、教えがいつも心に保たれているようになります。
 次に、教えが煩悩 を消して、心が乱れないようになります。
 次に、教えを一々考えなくても、自然にその通りの生き方ができるようになり、悟りは完成します。
 ここには、学んだことが実践され、生き方の変化してゆく様子がありありと示されています。
 仏道に限らず、およそ「道」と言われるものは、こうした順番を経て生きざまを変えることがよくわかります。
 
 この句は、わずか150年前ほどまで、小さな子供も含めて庶民の間で広く学ばれ、おそらくは暗唱されていました。
 江戸時代 の人々が世界でトップクラスの素養を身につけていたことが実感されます。

 最近、10才の女の子と5才の男の子が、とても好きだったひいお祖母ちゃんのお通夜 で受付をしていました。
 二人は亡くなるまで、弱ったひいお祖母ちゃんの手を握って励ましていたそうです。
 人の道は、あれこれと声高に言挙げされなくても、庶民によって目立たないところで守られ、導きとなっています。
 二人の姿はみ仏そのもの──、大きな励ましをいただきました。 

〈清浄な……〉

龍のブログ-清浄な