「仏 身(ブッシン)即ちこれ衆生 身(シュジョウシン)。
衆生 身これすなわち仏 身なり。
不同にして同、不異にして異なり」
(み仏
のお身体はそのままにして生きとし生けるものの身体です。
生きとし生けるものの身体はそのままにしてみ仏
のお身体です。
不同でありながら、そのままにして同一であり、不異でありながら、そのままにして異なっています)
この世を離れてみ仏
の世界はなく、この世は本来、み仏
の世界です。
ただ、私たちの智慧の欠けている無明
(ムミョウ)と、自己中心の煩悩
(ボンノウ)とが邪魔をして、その真姿を実現できないでいるだけのことです。
枕経
を依頼されてAさん宅をお訪ねし、修法後、故人の〈お人なり〉についてご家族から話を聞きました。
亡くなったお祖母ちゃんは家族思いで優しく、弱音を吐きませんでした。
家族が買い物にでかける時、いつも家にいるだけのお祖母ちゃんを連れ出そうとしますが、下の世話などで迷惑をかけたくないと遠慮してなかなか首を縦に振りません。
そこで一計を案じました。
「お祖母ちゃん、駐車場で車イス専用の所に停められると、買ったものを積む時にドアの近くで楽だから、協力してよ」。
とっくに意図を見抜いているお祖母ちゃんは承諾します。
十才にならないひ孫たちも、心を込めて祖祖母の世話をしました。
〝ああ、この居間こそ、み仏
の世界だ〝と確信したものです。
ところで、宗教
は、他人(ヒト)を幸せにしたいという強烈な思いから起こるのではないでしょうか。
心の〈彷徨い人〉だった私は、事業の失敗によって家族や友人や関係者などに、とてつもない苦を与えました。
懺悔
の思いは、恩返しをしたい、他人様の役に立ちたいという思いへと昇華し、開山を認められた時には、自然に、誰でもが「この世の幸せとあの世の安心」を得られる場でありたいという心の旗が立っていました。
聖なる若き釈尊が、鷹に獲られる生きものを見、苦役に汗する奴隷を見、病苦や労苦を抱えた人を見て、「見捨てておけない(抜苦)」気持になり、「何とかしたい(与楽)」一心で道を求められたのとはまったく異なるスタートでしたが、「誰かの何かのためになる」ことに自分を捧げたいという思いは通じていたと考えています。
聖人
は聖なる苦しみから出発し、凡人は懺悔
の苦しみから出発しますが、苦を抜き楽を与えたいという同じ志にたどりつけば、すでにそこで自分が救われています。
やがて聖人
は大いなる宗教
を起こし、凡人はささやかな罪滅ぼしを行います。
それが可能なのは、〈救われている人〉だからです。
もちろん、聖人
には、もはや一切の苦はなく、凡人には生活苦などが伴います。
聖人
は輝きつつ、凡人は苦しみつつ、共に「他人(ヒト)を幸せにしたい」一心で宗教
の道を歩みます。
確かに、「文化人類学の父」エドワード・タイラーが指摘するとおり、「宗教
の基本は霊的存在への信念にある」という見方もありましょう。
しかし、それは宗教
的感覚とでも言うべきものであり、宗教
心の根幹をなすものではありません。
いとも簡単に「貴方の肩に悪霊が乗っている」などと口走る昨今の風潮が孕む大きな危険性を考えてみればすぐにわかります。
故亀井勝一郎氏は「大和古寺風物誌」に書きました。
行者も同じです。「芸術にあっては、党派というものは最も拙劣な空想だ。
人は身をもたせかけるところもなく、暗黒の橋をただひとり渡らねばならぬ。
危うさに生き、いつでも転落の可能性を有し、たえず転落し、七転八倒し、或る刹那に、かろうじて或る均衡を保って美は生まれる。
その地獄とも醍醐味ともいえるとこに静かにあぐらをかき、守本尊を念じつつ微笑をもって仕事する、そういう職人気質こそ私の理想とする人格なのだ。」
苦を抱えた相手を前にして、自分が相手よりも楽をしようと思った瞬間に堕落します。
開かれた宗教 活動を行っている限り堕落との孤独な闘いは日々続き、行者が凡人である限り決して絶えません。
行者を堕落から守るのは「他人(ヒト)を幸せにしたい」という志であり、志をエネルギーに変えてくださるみ仏 です。
A家の人々は、まぎれもなく、心から支え合って生きておられます。
大きな仏 壇はありませんが、ご先祖様に香がたむけられ、人の道(宗教 )が実践されています。
だから、娑婆でありながらそのまま極楽であると感じたのです。
心一つで、たった今、どなたのおられる空間も極楽になります。
私たちは等しくその可能性を生きている真実を忘れないようにしたいものです。
〈「宮床弘法水」をお守りくださるお大師様〉
