俳人で信徒総代でもある鈴木妙朋さん(仙台市太白区在住)が作った2月俳句 です。

降り癖のついて音なく又も

 これでもかとばかり降り続く を「降り癖」がついたとは……。
 窓ガラス外を、白片が間断なく舞い降りる。
 落下はしきりに続き、──続く。
 見えるだけでしかなく、音がまったく伴っていない光景を眺めていると、この世ならぬ思いすら起こる。

独り居の項(ウナジ)に残る さかな

  さは項に受け、後頭部と背中に伝わる。たった一枚のマフラーが、ブルッとする感じを遠ざける。
 マフラーを着ける理由は項を守るためだろうか。
 独り暮らしの空間では、いつまでも 気が去らない。
 小さな項は、家中の 気すべてを引き受けてしまう。

おろそかになりがち一人居 (カン) (クリヤ)

 家を一軒丸ごと暖房してしまう現代人に「 」はイメージしにくいかも知れない。
 ガランとした台所がある古いタイプの家では、いつも人のいる居間は暖房で暖かくても、調理の時しか使わない (台所)はとびきり い。
 一人暮らしでいると、 さが余計に足を遠のかせる。

腰痛 にヅカヅカと来し さかな

 腰痛 の強敵は さ。
 腰痛 持ちの人は人一倍、天気予報が気になる。
 気にしたからといってどうなるものでもないが、やはり気にする。
 そして、やって来た 気は情け容赦なく痛みをもたらす。
「ヅカヅカと」は、自然と自分との境にあるベールを一枚矧いだ言葉である。

熱あつの飯に割り入れ 玉子

 小 から節分までを「 の時期」といい、その間にできた卵は特に滋養が豊富で身体に良いだけでなく、金運をももたらすと言われ、珍重される。
 高浜虚子は「ぬく飯に落して円か 玉子 」と詠んだ。
 虚子の卵は飯の表面を丸く覆ったが、作者は真ん中の穴に入れた。

ぽたぽたと (ユキシズク)の日のひかり

 春が来て氷のように固く積もっていた が融け出すと、屋根や樹木から が垂れて陽光に光る。
 高い樹の枝から落ちる も、しゃがんで見る盆栽から落ちる も、等しく一瞬の光をもたらす。
 廻り来た陽の気配は喜びと安心と勇気を与え、煌めきには希望も芽生える。

転ばぬやう の朝は滑らぬやう

 切実な句だが、どこかユーモアもある。
 年をとると転倒は最大の恐怖だ。
 ケガが治りにくいだけでなく、じっとしているとたちまち精気が薄れ、パワーを回復するのに時間がかかる。
 文字どおり恐る恐る動く自分を観る〈もう一人の自分〉の眼は優しい。

妖し気な の啼き声春隣

 故美空ひばりは「七色の声」とうたわれたが、ネコも負けてはいない。
 ネコ好きはちゃんと声を聞き分ける。
(西洋の人々は、日本人と違って蝉などの声を聞き分けないらしい。ネコはどうなのだろう)
「節」が来ると、それぞれなりに凝った声を出して賑やかになる。

などはどこ吹く風かうちの

 作者の相棒は、いかにも〈犬でないネコ〉らしく、悠然と我が道を行く性格だ。
 年をとるといっそう、堂々としているのだろう。
 それにしても、我が家のクロは寂しがり屋で、ネコなのに人間の側を好む。
 しかし、やはり年のせいか、静寂をも好むようになった。

昨夜の風つめたく朝に 残す

 夕べの風は酷く冷たいと思っていたら、夜半に降り出したであろう が朝になっても降り続いているといった状況なのだろうか?
残す」には、「もう、そろそろ降らなくても良い時期なのに、朝になってまだ、降っているの?」という気持が隠れているのだろうか。

〈その一瞬(c0124256_21365980.jpgさんからお借りして加工しました)〉

龍のブログ-雪雫