平成22年11月25日、「カンボジア小学生教育支援の会・仙台」が、『カンボジア民話集 』(非売品)を発行した。
 事務局は代表者熊谷千枝子 氏の自宅にある。
 
 平成5年、内線がおさまったカンボジアからの留学生受け入れを再開した日本へやってきた3人の青年を支援するNGO「CES・仙台 」(カンボジア小学生教育支援の会・仙台)が設立された。
 平成15年、「CES・仙台 」のメンバーは、プノンペンの識字教育施設「AFS 」(アジア未来学校 )が閉校状態になっているのを知り、それ以来、「敷地・建物・教師・子供たちのすべてに係わる運営費を支援」して来た。
 平成22年3月、「CES・仙台 」最後の留学生メンバーが帰国し、9月には「AFS 」が現地の開発の進行を受けて10年にわたる役割を終えた。
 7年間、「AFS 」は3回の転居を余儀なくされても現地で活動を続け、6才から15才まで、巣立った子供たちは300人にものぼる。
 
 熊谷千枝子 氏は「まえがき」に書く。

「交流と支援活動を通して知ったこと、得たこと、学んだことは多々ありますが、熱い思いや矜持、真摯な姿勢、未来へ向ける深い眼差しは、かつての日本人を彷彿させ、失ったものの大きさを改めて思い起こさせるものでもありました。
 この青年たちを育んだ国、土壌となる精神文化への関心が、おのずとカンボジアの民話へと向いて行ったのです。」

 そして、これまで研修用資料として用いていた資料をまとめ、「15年にも及ぶカンボジア留学生と市民との交流の証として、また彼等が仙台に残した確かな足跡の一つとして」の『カンボジア民話集 』を発行した。
 原本は、10冊の『クメール民話集』である。
 9冊のクメール文字で書かれた文章は留学生の口述筆記により、英文の1冊は会員の訳出により4年かかってまとめた21の物語がおさめられている。
 熊谷千枝子 氏は願う。

「国際理解の一助として、カンボジアという国、そこに生きる人々に関心の一端とお寄せいただかれば幸いです。」


 以下、数回にわたり、物語のあらすじを紹介します。
 この「失ったものの大きさ」を感じさせるかけがえのない一冊を求められる方は、当山へご連絡ください。

【第一話 アマラデビ王女の話】

 昔、小さな国に才色兼備のアマラデビという王女がいました。
 4人の大臣は、財産目当てに王女との結婚をたくらんでいました。
 ところが王女は相思相愛のマハセ・パンディディ青年と結婚したので、4人は悔しくてなりません。
 そこで4人は、王様へ「マハセがあなたを殺して座を奪おうとしています」と告げ口をし、でっちあげた証拠も示しました。
 マハセは国外へ追放されました。

 4人は示し合わせました。
「しばらく待ってから誰かが王女と結婚し、その暁には財産を山分けしよう。」
 2週間が経ち、第一大臣セナクはプロポーズしました。
 一計をめぐらせた王女は、「今夜7時に、もう一度来てください」と告げました。
 そして、次々と訪れた3人の大臣に対し、8時、9時、10時と面会の時刻を約束しました。

 王女は、面会室の一部に泥と糊の入った大きな落とし穴を作り、テーブルの上へたくさんの宝石を置きました。
 召使いの先導でやってきた大臣は、王女を待つ間にすばやく宝石を盗みました。
 その瞬間、カーテンの陰で見ていた王女と召使いは紐を引き、大臣を落として思い蓋をしっかり閉めました。
 こうして4人とも宝石を手にしてつかまり、翌朝、大臣を連れて王様の前へ行き、ことの次第を述べました。
 悲しみ、怒った王様は、4人を市中敷き回しの刑にするよう命じました。
「アマラデビは静かに、王様に会釈をし、自分の部屋に戻って行かれました。
 マハセ・パンディディが帰ってきたのは言うまでもありません。」

 注釈があります。

「十三世紀の終わり、カンボジアを訪れたチョウ・タ・クワンという中国の旅人は、この国の女の人たちがとても尊敬され、裁判で多くの重要な国政のポストについていることを知ってとても驚きました。
 彼の帰国後、皇帝への報告には彼女たちの天文学や政治についての知識をほめたたえ、中でもその中の一人の女性は高い教育を受け、才能豊かなので夫の伝記をサンスクリットの壺に美しく書き込んでいたことを報告しています。
 世界のほとんどの国が女性を低くみなしていた時代に、カンボジア人は女性たちが重要な人間として同等に扱われているという尊敬に値する古代文化をもっていたのです。」


〈手にすると敬虔な気持になります〉

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