せっかく霊性 が機関車としてはたらこうとしているのに、ブレーキがかかります。
曇りをもたらす貪り や怒り や迷い を脱し、感謝や平安や智慧を獲得するためには、心の揺れ動いているありさまを正確に知る必要があり、『大日経 』は、悟る前の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
その指摘を一つづつたどり、しっかり省みましょう。
第27回目です。
25 守護心(シュゴシン)
これは、自分の心だけを大切にする心です。
「唯しこの心のみ実(ジツ)なり、余心は不実(フジツ)なり」
自分の心のみが信じられる真実であり、他人の心は信じられないと考えれば、〈自己中心〉の悪魔がムクムクと起き上がります。
そもそも、自分の心が連続性を持ったものとして〈ここにある〉ならば、他人の心も同じく連続性を持って〈そこにある〉はずであり、〈あそこにある〉のも当然です。
それぞれがいてこの世があり、社会がある以上、自分に喜びも悲しみも、楽しさも苦しさもあるならば、他人にも同じくそれぞれの心があり、自分の心にしか真実はないと考える根拠はどこにもありません。
なぜこうした錯覚が起こるかといえば、無意識の裡に、「自分は永遠にここにいる」と錯覚しているからです。
他人の死に遭っても、「自分もまた一瞬後に同じ状態になっても不思議ではなく、たまたま眼前の人は自分より先に逝っただけであり、自分もまたいつ逝っても当然の儚い存在である」という真実を直視、実感していないからです。
私たちは、それぞれの生まれや育ちやはたらきの因と縁があってそれぞれに呼吸し、ものを喰い、言葉を交わしている〈たまたまこの世に一緒にいる〉友であると気づけば、自分だけを特別視することなどできはしません。
「慈悲
」が憐憫ではなく、むしろ友情
であるところにこそ仏法の特色があります。
「慈」は、他人や生きとし生けるものを「我」によって分け隔てすることなく平等に観た上で友情
を持ち、自分の幸せと同じ幸せを感じてもらいたいと願う心です。
「悲」は、他人や生きとし生けるものを「我」によって分け隔てすることなく平等に観た上で、他の呻きを見捨てず自分の呻きとして感じ取り、そこから救い出さないではいられない心です。
この心を発揮するのが菩薩です。
菩薩は智慧によって自分の煩悩(ボンノウ)を断ち、意欲を大欲(タイヨク)へと昇華させ、その力をもって方便(ホウベン…手だて)を実践し、分け隔てなく縁の相手を救います。
方便は、布施
や持戒
などの六波羅密(ロッパラミツ)として明確に示されています。
一人暮らしをしているうちに体調を崩したAさんが人生相談に来られました。
「不安です。どう生きたら良いのかわかりません」。
Aさんはヘルパーですが、一時的に休んでいます。
身を乗り出さんばかりのAさんへ、身を乗り出しつつお答えしました。
「誰でも〈自分で生きる〉しかありません。
生きるとは呼吸をすることであり、食べることであり、排泄することであり、寝ることでしょう。
そのどれも、誰かに代わってはもらえません。
誰でもが同じなのです。
誰でも生・老・病・死から逃れられません。
いずれも自分の思い通りになどならないので、釈尊は〈苦〉であると説かれました。
しかし、それを実際に、いわゆる苦と感じてがんじがらめに取り憑かれ、袋小路に入って苦しむかかどうかはその人の心次第です。
あなたは、特に仕事上『ありがとう』と言われた体験が多いのではありませんか?
あなたにとって、その言葉は、心身に大きな負担をかける仕事で頑張る力になりませんでしたか?
相手があなたへその言葉を発したのは、あなたが〈お金とひき換えに労力を提供している〉だけでなく、むしろ、そうした形を縁として〈見捨てておけずに手を差しのべる〉心を察知したからではありませんか?
あなたの行為という布施
が、相手の言葉という布施
を生まれさせたのです。
行為による布施
は「身施(シンセ)」、言葉による布施
は「言辞施(ゴンジセ)」と呼ばれます。
そのやりとりにあって、あなたも相手も菩薩でした。
二人とも、人間としての理想の姿、これ以上ない最高の姿になっていたのです。
こうした瞬間を大切にすること以外、〈こう生きれば良い〉やり方はありません。
肝心なのは、はたらくあなたも、不自由を抱えてあなたの世話にならなければ生きられない相手も、心一つで布施
行の実践ができ、等しく菩薩になれることです。
〈自分がどう生きるか〉は、〈社会内でどう生きるか〉、そして、〈生きとし生けるものの中でどう生きるか〉と同義です。
ぜひ、今までどおり、〈感謝の行き交う世界〉で生き抜いてください。
もしも、パワーダウンしていると感じたならば、ご加持を受けに来て、心身をリフレッシュし、力を取り戻し、さらなる力を発揮してください」。
菩薩の心になれば、「守護心」の迷い
は消し飛ぶことでしょう。
〈相手が人間であれ、ネコであれ、信頼感が行き交うのは同じです〉