DVD『チベットの風
』の続きである。
最盛期には世界一と称されたデプン寺には現在700人の僧侶がいる。
中国が来て、文化大革命 に襲われる前は7000人が修行していた。
殺され、亡命し、還俗させられ、僧侶は激減した。
ガンデン寺もまた最盛期には9000人が修行する世界最大規模の寺院だったが、文化大革命 で、僧侶は一人残らず殺された。
ガンデン寺で、ある宗派が成立していたのが理由である。
ダライ・ラマ 法王とパンチェン・ラマ がゲルク派のため、ゲルク派の創始者ツォンカパが建立した寺院は完全に破壊され尽くした。
西チベットの高僧と支持者によって4寺が再建されているものの、今も破壊の跡が生々しく残っている。
青年は言う。
「5年前まではダライ・ラマ 法王の写真を家に置けましたが、今ではそれさえも許されません」。
パンチェン・ラマ の本山タシルンポ僧院はダライ・ラマ 一世の創建によるが、今は4ヵ寺しかない。
ラサから来た男性の話。
「一番目の寺院には、パンチェン・ラマ 10世が造った世界一大きな銅製の仏像が安置されています。
二番目の寺院には、1989年に亡くなったパンチェン・ラマ 10世の墓があります。
仏塔中にある遺体に、当局が防腐処理をしました。
三番目の寺院には、パンチェン・ラマ 4世の墓があります。
中国が来るまでは、たくさんの寺院がありました。
それらはすべて破壊され、パンチェン・ラマ 5世から9世の墓は、最後の墓へ一緒に納められました。
6000人いた僧侶は800人になってしまったのです」。
チベットには転生ラマ(トゥルク)として崇められる高僧がたくさんいる。
13世紀に転生ラマ制度が始まってからは、歴代ダライ・ラマ 法王と歴代パンチェン・ラマ が転生ラマの代表とされた。
歴代ダライ・ラマ 法王は、5世から政治と宗教の実験を握る国家元首となった。
歴代パンチェン・ラマ は、タシルンポ僧院の座主を務め、阿弥陀仏の化身として尊ばれている。
パンチェン・ラマ が亡くなると、ダライ・ラマ 法王が次のパンチェン・ラマ の転生者を承認・選定する。
1989年、パンチェン・ラマ 10世は、こうした声明を発表した4日後、謎の死を遂げた。
「中国のチベット支配は、チベット人へ対し、利益よりも多くの害をもたらした」。
パンチェン・ラマ 10世亡き後、11世を建てる必要が生じた。
亡命中のダライ・ラマ 法14世は、チベットにいるゲントゥン・チューキ・ニマ少年を、ダライ・ラマ 法王認定のパンチェン・ラマ 11世とした。
しかし、すぐに、この少年は家族と共に行方不明となった。
中国政府は後に、ニマ少年の拉致を認めている。
「本当のパンチェン・ラマ 11世はチベット人ですが、家族共々、どこにいるかわかりません。
中国の刑務所に拘束しているのでしょう」。
政府はギエンツェン・ノルブ少年を11世として立た。
「パンチェン・ラマ 11世は二人います。
一人はダライ・ラマ 法王に認定され、もう一人は中国政府が立てました。
北京にいるのは中国擁立のパンチェン・ラマ です。
北京のパンチェン・ラマ がツガツェやラサの訪問に際して、政府は法律を作りました。
民衆は外に出、スカーフ(カター)を持って歓迎しなくてはいけません。
皆は彼がパンチェン・ラマ だと信じていると言いますが、内心ではまったく信じてはいません。
中国政府が立てたからです」。
少年だったパンチェン・ラマ は現在20才になり、活動させられている。
もちろん、中国政府が立てたパンチェン・ラマ はダライ・ラマ 法王に認定されてはいない。
だからこのパンチェン・ラマ を信じているチベット人は誰もいないのである。
中国人すら信じるだろうか?
これは何世紀も前の遥か昔にあったできごとではなく、わずか半世紀前に始まり、たった今、この地球上で継続している現実である。
人権侵害
という耳慣れた言葉でくくってしまえないほど現実離れし、想像を絶する弾圧である。
人間を人間扱いしない政治体制の中国が軍事・経済・政治各方面で世界へ大きな影響力を及ぼしつつあるという事実、数百万人の人々が暮らす一国が丸ごと簒奪され、民族が一人もいなくなるようにし向けられているという事実の途方もなく巨大な暗黒。
私たちは、国会で誰一人この問題を採りあげようともしない国に安閑と暮らすことを恥じないでいられようか。