私たちが我欲を離れ、互いに傷つけ合うのではなく、互いに思いやりを持ち支え合って生きる人間になるためには段階があります。

①一切の生きとし生けるもののおかげで今の自分が生きていることを認識する。 
 過去の無限に長い時間の中で、いのちあるものたちが〈いのちの世界〉を守り保ってきてくれたおかげで、今の〈いのちの世界〉があり、自分がいます。
 その代表者が親であり、ご先祖様です。
 また、いのちあるものたちが無限の広がりの中で〈いのちの世界〉というネットワークを守り保ってきてくれたおかげで、今の〈いのちの世界〉があり、自分がいます。
 その代表者がご近所様などの人々であり、米などの食物であり、ネコなどのペットたちです。

②生きとし生けるものの恩を思い、感謝する。
 ①の認識ができれば、感謝しないではいられなくなります。
 父母は、放置されれば決して生きて行けない自分を育ててくれました。
 見ず知らずのお百姓さんが汗水たらして作ってくれたおかげで米のご飯が食べられます。
 社会を構成する人々のおかげで、日々が暮らせます。
 
③生きとし生けるものの恩に報いようとする。
 恩を受けて今、生きていることを深く実感し「おかげさま」と思えれば、自分の中にある思いやりの心が目覚めます。

④生きとし生けるものの幸せのために役立とうとする。
 目覚めた思いやりは、自分が与えられたように、他者へも何かを与えないではいられない思いをもたらします。

⑤生きとし生けるものの苦を除こうとする。
 思いやりの心で世界を観れば、生きとし生けるものの〈苦〉に気づき、放置できなくなります。
 人類の母を生んだアフリカの人々は飢餓や貧困に苦しめられ、日本では主として年配者たちが孤独死の淵に立たされつつあります。
 そして、私たちはすべて、無常を生き、死んで行く者として平等であることにも思いをいたさねばなりません。
 たとえ今、裕福で安全な暮らしをしている人々といえども、医者や薬の世話になったことがないという人々といえども、無常の鬼は決して見逃しはしません。
 いつ何時、賊や災害によって財が失われ、病気や事故によって健康が奪われても不思議ではないのです。
 愛しい相手と別れねばならず、憎み怨まないではいられない相手とめぐり遭わねばならず、「もっと」とも思い、万人が抜きがたい苦を抱えた存在です。

⑥思いやりを実践しようという強い意欲を持つ。
 思いやりが強まり、放置できない気持が持続すれば、「やらねばいられない」という強固な意志が生まれます。
 そうすると、自分の微力さに気づきます。
 たとえば難病に罹った親を救いたい一心で医者を志すように、「自分を高めないではいられない」という強固な意志が生まれます。

⑦思いやりの実践ができる人間になろうとする。
 他者のために自分を高めないではいられず、どうすれば良いかを考えると、人それぞれに得意分野や、生きている環境やなどによって千差万別の方法が見つかることでしょう。
 前述のように医者になろうとする人もいれば、伊達直人(タイガーマスク)のような行動に出る人もいれば、奉仕活動に励む人もいれば、自他の苦を根元から除こうとして仏道を志す人もいることでしょう。
 どのような道を歩もうと、「他者のためを思う慈悲心によって自分を高めないではいられない存在」であれば、菩薩(ボサツ)道を生きている人です。

 私たちはこのようにして、我欲を離れ、菩薩になれると説かれています。
 さあ、やりますか、やりませんか。


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