「ゆかり人の会」会員伊藤さんが、パッチワークの作品を玄関に展示して、「お風呂場建築基金」に当ててくださることになりました。
どの作品にもまごころが感じられ、こうしたお支えこそが寺院を〈護持する〉最高の形の一つであると確信します。
当山は、こうしたまごころが集まり、皆さんがまごころで交流し合う場であり続けたいと念願しています。
〈並んでいるのは、まごころです〉
「ゆかり人の会」にも法楽寺にも、たくさんお励ましの声をお寄せいただいており、ありがたくてなりません。
しかし、住職はなかなかご返事を出せないような状況です。
皆さんの尊いお心をご縁の方々と共有したいと願い、プライバシーの保護に充分注意しながら、あたたかな血の通った言の葉をところどころ抜粋してご紹介します。
○「ゆかり人の会」会員Aさん
昨年は法縁をたくさん結んでいただき、人生最後のまとめをする上で心に刻むところが多かったと思います。
まず、
・私自身のこれからの生き方
・家族のあり様(よう)
・先祖に対する供養のあり方
不遜ではございますがぼんやりと見えてまいりました。
法縁によりご住職とお会いできたことが最大の喜びでございました。
そして、知り合えた方々のお話しを通して、小さな穴から外の世界をかい間見驚き喜ぶ小兎のような気分でございました。
しかし、はたと心を落ちつけ、自分の心の中を正直に見つめてみました。
次から次へと押し寄せてくる大波にたじろぐ自分を見出しました。
むずかしい数々の御仏の教え、真理、有難く拝受するばかりで、どの位自分のものにしているものやら、なさけなく、恐ろしくさえなってまいりました。
私の年令と不勉強だったこれまでの人生を思うと、少々焦りさえ覚えます。
百ある小石の一つでも拾えたなら、一つも拾えないよりよいではないか、自分の能力の範囲内で、御仏の教えに一歩でも近づければそれでよいと思い定めました。
乱筆、乱文、お許しくださいませ。
○「ゆかり人の会」会員Bさん
寺門興隆における遠藤住職の人間像、改めて心静かに拝読させて頂きました。
二十余年前の当時を私も住職と立場こそ異なれ、今静かに想い浮かべて感無量です。
宿命・運命・天命、この命のある限り一日一日を感謝し、大切にし、余命を全うしたいものとつくづく想い、念いの今頃です。
折角に頂きましたこの機会に少々想いを述べさせて頂きます。
「慈はよく楽をあたへ、悲はよく苦を抜く
抜苦与楽の基、人に正路を示す、これなり」
空海の訓えを訓えとして日夜ご苦労されている住職に心から敬意を表し、ご努力に対し感謝申し上げます。
人の世で、人との出会いとはまことに不思議でなりません。
平成二十年春、偶然に葛岡墓地霊園にて遠藤住職との出会いを頂きました。
高橋さんといい、住職といい、何か私には偶然とは云い切れない運命との出会いを感じました。
今、法楽寺が開山十六年目を迎え、母胎となる「ゆかりびとの会」も発足し、これから、一歩一歩、遠藤住職が発願の原点となった「空海」のみ訓えを開山の原点として広くあまねく、地域社会の人々に空海の訓えである「抜苦与楽の基として人々にそのに正路を示す」一人としての遠藤住職に私は心から尊敬し、その小さな一足ともなって、私の人生を果たしたいと念願しています。
出会いを大切にし、感謝し、今后共、微力を法楽寺が地域の多くの人達に訪ねて来られるような寺院でありますようつくしたいと念じております。
今后、機会ある度に私なりに思うこと、やってほしいこと、こうありたいと念じ、願うことを申し上げ、役員の皆さんの一助ともなれるように、勤めたいものです。
※平成22年9月、月刊誌『寺門興隆』さんが当山の「脱『檀家』宣言」を紹介されました。
○「ゆかり人の会」会員Cさん
先日はお正月のご祈祷と有難いお品をいろいろと沢山、有難うございました。
何とも不信心ですが、雰囲気は伝わり、身がまっすぐになる気がいたします。
お茶をいただくと、これが又おいしくて、本当に有難うございました。
今年も又、ご住職のご精進は増すのだと思いますが、どうぞお体を大切になさって、みな様の本柱になり続けられることを願っています