昔、20歳になるバラモン がいました。
才能豊かで、自分は聡明であると自覚し、「ありとあらゆることを会得しよう、不明なものがあっては高名に恥じる」とばかり、天文・地理・医学・妓楽などを、手当たり次第に学びました。
やがて、「諸国を漫遊して、あらゆる勝れた人々と競ってうち勝ち、我が名を永久に留めたい」と旅に出ました。
ある町で、角を用いて弓矢を作る職人と出会いました。
作る先からどんどん売れているほどの腕前です。
感嘆し、「これはまだ会得していない」と気づいたバラモン は弟子入りしました。
たちどころに師を超えるほどの腕になったバラモン は、職人へ布施し、礼を尽くして去りました。
また、ある町では、飛ぶように船を操縦する船頭に惚れ込みました。
「船頭は卑しい仕事だが、自分ができないままではいられらない」と考えて、船頭を師と仰ぎ、またまた師を超えたバラモン は布施し、礼を尽くして去りました。
ある国では豪壮な宮殿を造った大工の技に眼を瞠り、「自分はたまたま、まだ大工仕事を学んでいないだけであり、本気になって技術を身につければすぐに勝てる」とばかり、棟梁へ弟子入りしました。
またしても短時日に悉く会得したバラモン は布施し、礼を尽くして去りました。
こうしてあらゆる技術を駆使できるようになったバラモン は、手当たり次第に名人たちと技を競い、ことごとく勝利をおさめて「天地の間に、私に勝る者はいない」と高言するまでになりました。
遠くからこの様子を観た釈尊は「悟らせねばならない」と考え、杖と鉢を手にした托鉢行者の姿でバラモン の前に現れました。
バラモン が歩いた地域にはまだ仏法が伝わっていなかったので、バラモン は驚きました。
「どんな時代にも君のような服装で歩く人はいなかった。一体、君は何者なのか?」
行者は答えました。
「私は身を調える者である」
聞いたことのない話に、バラモン は重ねて訊ねます。
「身を調えるとはどういうことか?」
行者は詩の形で説きました。
「弓を作る者は角を調え、船頭は船を調え、大工は木を調え、智者は身を調える。
たとえば厚く大きな石はいかなる風も動かせないのと同じく、
智者は心が定まり、いかなる毀誉褒貶(キヨホウヘン…謗られたり誉められたりすること)にも動じない。
たとえば深い淵の水は澄んで清らかなのと同じく、
智者は人の道を学び心を清めて、じっとその喜びを抱きつつ生きている」。
説き終えた行者は空中へ飛翔して仏身となり、その光明は天地を遍く照らしました。
仏の姿と化した釈尊はバラモン の前に降り立ち、告げました。
「仏となったのは身を調える力による
高慢心を打ち砕かれたバラモン は五体投地 して請いました。
「どうか身を調える方法をお示しください。その要点はいかなるものでしょうか?」
釈尊は告げました。
「さまざまな戒律を守り、さまざまな修行を行い、さまざまなレベルの解脱 を得るのが身を調える方法である。
世間的な技術はいずれも輪廻 の中で役立つものである。
輪廻 を超えるのが身を調える目的である」
理解したバラモン は欣喜雀躍(キンキジャクヤク…躍り上がって喜ぶこと)して弟子入りを願い、許された瞬間にバラモン は行者の姿になりました。
釈尊は4つの真理、8つの正しい路を示し、聡明な元バラモン はやがて阿羅漢(アラカン)の悟りを得ました。
私たちは肉体を得てこの世へ現れます。
肉体を養うにはモノの世界にあるものを得ねばなりません。
得るための方法が「世間的な技術」です。
もちろん、技術を磨く先に心の向上もあり、さまざまな分野のプロや名人の到達する境地は尊敬に値しますが、技術を磨く日々を過ごすだけで、必ずしも自他へ、社会へ、真の幸せをもたらすような心になれるとは限りません。
一方、仏法は、自他へ、社会へ、真の幸せをもたらす方法を説き、誰しもがその道を歩めます。
江戸時代の傑僧慈雲
尊者は13歳で出家し、法楽寺
(大阪市東住吉区)で修行し、十善戒
を重んじて「人となる道」を生涯、説き続けました。
人は人に〈なる〉のです。
当山も慈雲
尊者を尊び、ブログ「十善戒
の歌」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-646.html)などを題材にして、常に学んでいます。
肉体を養う方法と、魂
を向上させる方法、二つを考えながら生きたいものです。