タイガーマスク 運動が起こっています。
 これまであまり知られていなかった有名人たちの隠れた善行なども報じられ始めました。
「一過性である」、「日本人の思いやりが吹き出した」などなど、いろいろ言われてもいます。

 現象は確かに布施行そのものであり、何がきっかけでいかなる布施を行っても仏性のなせる善行であることに変わりはありません。

 仏性は万人に具わっているのであれば、他のためになりたいと思い実践できる人とそうでない人とはどこが違うのか?

 仏法はチェックポイントを説いています。

①強い執着心

 いったん我がものにしたなら、もう、手放したくないという所有へのこだわりです。
『梵網経』は、我欲による物惜しみは「悪心」であり、「自ら慳(オシ)み、人へも慳(オシ)む心を起こさせれば、悪 をつくり、悪行を行い、悪業を積む」と説きます。
 自己中心を離れる修行で執着心を克服しましょう。
 
②見えない結果

 原 があれば結果が出るとわかっていても、善き行いが善き結果をもたらすと信じられない場合があります。
 悪党が羽振りをきかせている現実に出くわしたりすると、「正直者はバカを見る」などと感じたりもします。
 しかし、心から他のためになろうとして何かを行った時の爽やかな満足感そのものが、すでに、善き結果であると考えられないでしょうか?
 そうした思いは確実に心の深い場所へ蓄えられ、善き に反応して天運をつかまえさせます。

③不慣れ

 喜捨とは、他のために見返りを求めず喜んで自分のものを差し出すことですが、②で指摘したように、差し出す時には必ず爽やかな満足感が伴うので、喜びは布施という行為の前にも後にもあります。
 喜びのない布施行はあり得ません。
 これだけすばらしい行いなのに、なかなか最初の一回が行えないばかりに、布施行と無 な方がおられます。
 菩薩になるきっかけがないのは残念なことです。
 ぜひ、「惜しい」あるいは「恥ずかしい」などという気持を振り切って〈喜び体験〉をしていただきたいものです。
 タイガーマスク 運動という社会現象は、「よし、自分も」という善ききっかけになるのではないでしょうか。
「習い性」という言葉があるように、習慣は人間性を変え、人間性が変われば習慣も変わります。
 自他へ喜びをもたらす善き習慣を身につけ、善き人間性を育み、善き人生を歩みたいものです。

④苦しい生活

 今、自分や家族の食べる米がなければ、他へ分け与えることはできません。
 今の自分が自分自身の業(ゴウ)や、社会的共業(グウゴウ)によってもたらされたものであるとの認識があれば、自分が苦しくとも、むしろ、自分が苦しいなら余計に他者の苦しみにも心は向くはずです。
 他者の苦しみを魂で受け止めれば、たとえ今すぐには行えなくても、何かをしないではいられない気持になります。
 昨年12月、当山の墓地『法楽の苑』に、『NPO法人ワンファミリー仙台 』さんのお墓『一家族の墓 』ができました。
 辛い人生体験をした方々と。そうした方々を守ろうとする方々が協力して、皆が入れるお墓を建てました。
 苦しい生活も、心一つですばらしい善行に結びつきます。
「自分が苦しいから」を言い訳にせず、自分の心を見つめてみましょう。

 さあ、自分はタイガーマスク になれるでしょうか、伊達直人 になれるでしょうか。


龍のブログ-河北新報12月23日号より