俳人で信徒総代でもある鈴木妙朋さん(仙台市太白区在住)が作った1月の俳句です。
元日の時間の流れ町静か
元日になると、野山も町々も普段と違う気配に覆われる。
敬虔な気持にさせる静けさが世界に広がる。
時間は静けさを運びながら粛々と流れる。
普段は背後から見守っていてくださる仏神が不意に身近に感じられる。
人の営みにかかわりなく、静けさが時空を支配する。
三ヶ日あっと言ふ間に過ぎにけり
お正月が来たと思っているうちに、もう、三が日は終わっている。
死者が出ると四十九日はすぐにやって来るのと同じである。
途中の時間は文字どおりあっと言う間でしかない。
びっしりと法務で埋め尽くされた時間を生きながら、傘寿を越えた作者の時間を想う。
穏やかな年でありたしお正月
お正月の穏やかさは一種独特である。年の区切りを越えたことが人を敬虔にさせるからだろう。
この穏やかさを保つにはそうした気持が欠かせないはずである。
現実はなかなか穏やかさを保てない。
喧噪が再開するのと同時に、敬虔な気持を忘れるからだろう。
生かされて啜るひとりのなづな粥
一月七日に食べると長生きするとされる七草粥と同じく、七草の一つである「なづな」を入れたお粥が食される。
なづなの花言葉には「すべてを捧げる」というものがある。
生かされている身を捧げるならば、もう、何一つ過不足はない。安心で厳粛な食事……。
木枯のをんをん泣いてゐるやうな
木枯らしは「鳴く」という。
「泣いてゐる」と表現した人があろうか?
「鳴く」は「鳴る」に通じ、自然界のできごとである。
しかし「泣く」となれば人間界に通じ、ことは穏やかでない。
木々にも人間にも抵抗されるだけの木枯は、吹きつつ泣いているのだろうか。