寛永通寶の「延寶御用銭」と聞いて瞬時にそのものを思い浮かべられる古泉家がおられたら、それはもうかなり寛永銭(寛永銭の歴史)に精通された方ではないでしょうか?
なぜなら、この「延寶御用銭」、現在も多くの泉書で見ることができるものの、全く別の名称に置き換えられているからです。
ちなみに、私自身が最初に「延寶御用銭」という言葉(名称)を知ったのは、田中啓文師による『銭幣館』(S26)の「高津背元銭」の解説の中でしたが、これは残念ながら「贋物に対する一節」でもあったのです。
今、その部分を抜き出してみると、「この二品(背元銭)と同じ銅色をしたものに、正徳佐渡大字、延宝御用銭の偽物がある。製作も全く同じである(中略)正徳と延宝と元文と時代を異にし、銭座を異にするものが、同一銅色同一手法ということが贋作品であることを裏書きしている」とあり、「高津背元銭」のある種の母銭に見られる赤褐色の贋物と、銅色や製作を同じくする「延寶御用銭」の贋物が存在していたことを述べておられます。
ここまで来ると、多くの方が「あぁ、あれのことかも?」と思い出していただけるものがあるかもしれません。
というのも、現在多くの古泉家が「寛永通寶(新寛永)の分類譜の到達点」と信じて疑わない「静岡いづみ会」による『穴銭入門・寛永通宝』(H4)の「高津背元銭の参考銭」の解説の中にこの啓文師の御説が引用され、「延寶御用銭=日光御用銭」と取れる一文があるからです。
そう、たしかに「日光御用銭」には色変りがありましたね。
この一文の影響なのか、自分の周囲でも「日光御用銭」は黄系のものを良しとし、赤系のものを疑問視する向きが無きにしも非ず(それだけ『穴銭入門・寛永通宝』の信用度が高いということでしょう)なのですが、それ以前に「延寶御用銭」は本当に「日光御用銭」のことを指していたのでしょうか?
実のところ、『穴銭入門・寛永通宝』では、この「延寶御用銭」については大きな誤解があり、「延寶御用銭」は決して「日光御用銭」のことではないのです。
結論から申せば、「延寶御用銭」とは今で言うところの「仙台御用銭」を指しているのですが、それではなぜ『穴銭入門・寛永通宝』では「延寶御用銭=日光御用銭」という誤解が生まれてしまったのでしょうか・・・・・・
これは憶測に過ぎませんが、「仙台御用銭」はあまりにも稀少なため類品の調査が充分に行われず、「啓文師の言われる赤系で疑問視される御用銭といえば、おそらく色変わりの見られる日光御用銭のことだろう」と解釈されてしまったのかもしれません。
「日光御用銭」に関してはここまでとして、問題の啓文師がご覧になっていたという「延寶(仙台)御用銭」の赤褐色の贋物が一体どのようなものだったのかが気になるところですが、これには当然「良いものも存在する」という前提でのお話だったと思いたいのです。
さて、ここからが本題の「延寶(仙台)御用銭」についての考察となりますが、このものは江戸も比較的古い時代から知られる存在ではあったようです。
もっとも、初期の泉書(寛永銭譜)では稲垣本に「年世未詳(約2.73cm 4.88g)此銭彫母銭也 未見其子/享和壬戌年見錫銭然未見銅銭者」といった記述があるだけで、ハッキリとした素性のものではなかったわけですが、後の芳川本にて「延寶五年丁巳鋳之(約2.64cm 4.88g)延寶御用銭是也」の記述が加わったことで、これにより「延寶御用銭」の名称が定着したようです(この時点で延寶鋳の確証があったのかは不明ですが・・・・・・)。
寛永銭研究の全盛期とも言える明治期になると、銅母銭(今日の原母級といわれるものか?)もいくつか確認されるようになり、当時の代表的泉書であった『新撰寛永泉譜・後編』(M31)には「御用銭には様々なものがあり、絵銭のように正規のものとは言えないものもあるが、その中で座銭に見えるものを選ぶ」として6品掲載されているうちの1品がこの「延寶御用銭」で、ここでは「冶鋳之年未詳の御用銭」とされています。
一方、同年の『寛永銭研究會報告18号』では当時の寛永銭の大家でもあった三上香哉師が自蔵の錫母銭と銅母銭の2枚を提示した上で、「世に言う延寶御用銭なるものは黄銅や白銅の製作精美のものであるが、これらは寛永堂(稲垣本の著者・稲垣尚友)作と思われるものばかりである。となるとその彫母銭というものも一体どんなものだったのか疑わざるを得ない」といった論調で、こちらではイメージの良くないものとされているわけですが、「他人の説に乗ることをことさら屈辱と感ずる異常な性格者」と評される香哉師のことですから、単なるいつもの難癖で、これが本心だったのかどうかは疑問とされる方も多いかもしれません。
なお、香哉師のこのお考えは後々まで変わらなかったようで、『昭和泉譜』(S7)においても「延寶御用銭」は外され、それについての言及もありませんでしたが、関東大震災(T12)における自蔵品の全焼失等がなかったら、あるいは別の展開があったのかもしれません。
ところで、現在の古泉界で「延寶御用銭」が「仙台御用銭」と呼ばれることについては「書風が仙台銭(「異書」系統)と類似・・・・・・」といった解説が全てを物語っており、昭和期には主に「仙台の手本銭」(幕府へ鋳銭願いのために差し出す見本銭の意味か?)として分類されていたようですが、特に仙台鋳としての確証があったわけでもないようです。
このように、どうも「仙台御用銭」については、啓文師の言われるような赤褐色の贋物が存在するという以前に、そのもの自体の素性に不明な点が多く、不本意ながらもそういったことを踏まえた上での収集を考えなければならないものかもしれません。
仮に、香哉師の御説に重きを置くとするならば、あるいは彫母銭自体の存在はあり得たのかもしれませんが、それより下位のもの(錫母銭を含む)については「全てが収集家向けの後世の戯作」ということにもなりかねないわけですから・・・・・・
しかしながら、この「仙台御用銭」、実際に目にする機会があったならその見事な姿に心を打たれる方も多いと思われ、特に寛永銭を志す方々にとっては真贋などは二の次? で、一度は入手してみたいと思われる方もおられるのではないでしょうか?
帯白暗黄から黄褐色のもの(一般的には良いものとされる)が見られる一方で、たしかにこのものにも「日光御用銭」と同様に赤系のもの(赤褐色とまでは言えないものの、やや赤味を帯びたもの)が存在し、風のウワサでは戦前・戦後の古泉界でも著名な収集家兼名工(啓文師とも世代の被る)の作などといったおぞましき話も聞こえて来るのですが、はたして・・・・・・
今回、自蔵の2品(帯白系2.66cm 4.02g/赤黄系2.65cm 3.78g)に対し、これらの情報からあえて疑惑の目を持って精査に当たったわけですが、その背景(古泉界での経緯)による疑念だけは拭いようがないものの、帯白系については「見事な母銭ですね、これが仙台御用銭というものですか、さすがに御用銭と言われるだけのことはありますね!」と、かつて(10年程前の入手時)抱いた称揚の思いが揺らぐことはありません。
ただ、疑問視される向きのある赤黄系については、両者を比べてしまうがゆえにわずかな雰囲気の違い(輪側の仕上げ等)が気にならなくもないのですが、これを軽々に昭和の作? などと断じても良いのか(固体差や万が一にも母子関係といった可能性はないのか?)、心は今も迷いの最中にあるのです(結局、目がないと言われればそれまでなのですが・・・・・・)。
最後に、古銭の世界に限らず、情報収集は極めて重要で大切なことですが、それらの中には単なる憶測に過ぎないこともあれば、全く見当違いのこともあるかもしれません。
疑心暗鬼になりすぎて良いものを悪くしてしまうことだけはあってはならず、これは全ての収集家が肝に命じて欲しいことでもあるのですが、だからと言って精巧な贋作を容認する気は一切なく、近時でも特にネットの世界で暗躍する輩の所業には反吐が出るのです。
こちらは「東海貨幣協会」の令和6年4月例会での発表原稿に一部手を加えたものとなります。
