30代後半にして、早くも「中年の危機」を迎えてしまった。

 

若い頃は、どんな努力も最終的にモテに繋がると信じて頑張れた。

今は結婚し、子供が生まれ、親となった。

人生前半の目標はひとまず達成されたと言える。

 

子供の成長を間近で見ていると、彼らには無限の可能性があることを肌で感じる。

では、自分は?慢性的な肩こりを抱え始めたこの身体でこれから何ができる?

 

ライフステージが変わり、これからどのように生きていけばいいのか、漠然とした不安がときおり頭をよぎるようになっていた。


 

最初に、本書の内容を踏まえつつ「中年の危機」を自分なりに整理してみたい。

 

〇どの年代を指すのか?

子育てが一段落したり、昇進し役割が変わった(プレイヤー → マネージャー)りと、環境が大きく動きやすい40~50代が中心となる。


 

〇「危機」の内容は?

「これからどのように生きていくのか」「自分とは何者なのか」といった、アイデンティティの再構築が主題となる。

アイデンティティの確立と言えば、思春期を思い浮かべるが、両者には決定的な違いがある。

 

思春期は、多くが学生という似た環境に置かれ、未来は希望として感じられる。

一方、中年期は、家庭環境では「結婚している/していない」「子供がいる/いない」、働き方も「個人事業主/会社員」「フルタイム/ショートタイム」と千差万別で、未来は、過去を振り返りつつ「残された時間の中で何をするか」と焦りを伴う。


 

さて、本書の具体的な内容に移ろう。

構成は、最初に総論があり、次にミドル・エイジを経験した4人(尾崎世界観、角田光代、鷲田清一、千正康裕)へのインタビュー、そして結論だ。

 

当たり前と言えば当たり前なのだが、著名人も様々な悩みや壁にぶつかってきたことがよく分かる。 

 

特に印象に残ったのは2点。

角田光代が、老いを自覚し、若い頃から継続してきた仕事のやり方を変えたという話。そして、鷲田清一が語った「中年期は自分という物語に執着する時期。作ってきたアイデンティティをいかに守れるかにこだわる」という指摘だ。 

 

この二つから考えると、若い頃の価値観や行動様式をそのまま中年期に持ち込むと、現在の自意識とズレが生じ、苦しくなるのではないか。 

 

心理学では、人は一貫性を保ちたがる性質があるというが、中年期はむしろ「変化してきた自分」を受け入れる時期なのかもしれない。

 

また、作者は、中年期とは、「若者が抱くような成長欲を再度抱えながら、これまでの自分や能力の限界と折り合いをつけることで個性が生まれる」と述べる。

 

中年期は、歩んできた道のりも抱えている問題も人によって全く異なる。

だからこそ、普遍的な解決ノウハウなど存在しない。

「大いに悩んでいこう」。

タイトルの「ビギンズ」は、悩むことそのものを肯定しようというメッセージなんだろう。

 

本書における「イシュー」の定義は、「今本当に答えを出すべき問題」である。

 

問題の解決策を考えるにあたって、想定される段取りは、「現状のデータを収集・分析、原因を特定した後、それへの対応策

を検討する」ではないだろうか。

 

本書では、最初に、「問題に対する仮説、それを検証する論理と分析内容まで決めきる」ことが劇的に生産性を高める方法だと述べている。

 

技術革新による業務の自動化・省力化が進み、生産性が上がっているはずなのに、なぜ私たちの生活水準は向上している実感がないのか。

日本経済の長期停滞について、その元凶と要因を解き明かす。

 

1998年から2023年までの25年間で、生産性は累計で30%ほど上昇しているが、実質賃金はほぼ横ばいのままだ。

日本の問題は、大企業が「生産性が低いから実質賃金を引き上げることができていない」のではなく「生産性が上がっても実質賃金を全く引き上げていない」点にある。

 

なぜか。もちろん、大企業の経営陣が法外な報酬を得ている訳ではない。

大企業が実質賃金を抑えてきた理由は、コロナ禍のような経済危機に備え、従業員の雇用と生活を守るために溜め込んでいるのだ。

 

しかし、生産性上昇による利益を家計に還元しなければ個人消費は増えない。個人消費が伸びなければ、国内売上が増えない。

さらに、中小企業は、内需系が多く売上が増えないため、中小企業も賃上げに踏み切れない。

「賃金が上がらない → 消費が増えない → 売上が伸びない → また賃金が上がらない」という悪循環が、日本経済が長期停滞した主要因である。

 

なお、大企業経営者は、国内売上が伸びないのは、人口減少で個人消費が増えないからと言うが、過去四半世紀で時間当たり生産性は3割も上がっているため、経済全体では、人口減が引き起こす所得減少を十分に相殺できている。

 

他にも、週48時間労働制の週40時間労働制への移行による労働投入量の減少や、低金利下のインフレによる資産目減りを懸念した家計の外国株ファンド購入などに伴う円安も、長期停滞の一因となった。

 

 

 

私のイメージではあるが、社会問題を扱う書籍は、結びで「こうするべき」と一般論を示すばかりで、具体的な解決策に踏み込まないものが少なくない。

 

しかし、著者の根本裕二氏は、民間や学術の立場に加え、内閣府や国土交通省といった公職を歴任した経験を持つ。そのため、地方自治体が抱える現実的な制約や調整の難しさを踏まえたうえで、実行可能性のある行動指針を提示している点が特徴的である。

 

特に、公共施設の「施設と機能の分離」という考え方及び実現に向けた以下5つの手法は、限られた予算で成果を求められる自治体にとって、インフラ分野に留まらず、行政システムや公共交通、事業の民間による自立など、幅広い領域で応用可能だと感じた。

 

①広域化:複数の市町村で公共施設を共同設置

②ソフト化:民間に公共施設を委託してサービスを維持

③集約化:複数の施設を統廃合する

④共用化:同じ種類の施設を共同で利用

⑤多機能化:1つの施設に様々な機能を持たせる

公共サービスであっても、“機会損失”の視点を避けては通れない時代になっている。

 

本書はインフラ危機をテーマとしているが、私はむしろ、提示された解決策を通じて、資産運用の効率化という視点での学びを得た。

 

 

 

 

 
 

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』を視聴しました。

正規のアニメ版ガンダムであるのに、ファーストのパラレルワールドというトンデモ設定。
戦闘描写は、高速機動かつ一瞬の場面を切り抜いたスロー演出も多く、満足!
さらに、ファーストの登場人物と、ジークアクスで初登場の人物とで、キャラのタッチが違うなどの謎も…
 
戦闘のカッコ良さと、視聴者の考察の余地が多いストーリー展開で、非常に面白かった。

 

 

 

考察の余地といえば、一番気になるのが

 

シュウジとは何者だったのか

 

 

 

 

 

11話終盤、シュウジが自らの正体を明かした瞬間、ファーストガンダムの出現とともに「BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)」が流れました。

 

言わずと知れた、アムロとシャアの宿命の対決を描いた「逆襲のシャア」のテーマソングです。

 

神演出過ぎる。シュウジの正体はアムロだったのか!

 

ところが、ネットを見ると「シュウジ=アムロ」説だけではないようで…

そこで、正体はアムロと結論付けるために暴論を振りかざすことにしました。

なお、私はガンダムガチ勢ではないし、作品を繰り返し観て研究したわけでもないので、内容は支離滅裂です。

 

 

①シュウジ=アムロについて

まず、シュウジがアムロであることは、先ほどの名曲が流れた点に加えて、

 

パラレルワールドの発生源は向こう側のララァであることを知っている

 

ララァに対して強い想いを持っている

 

ことから明らかです。

 

 

②なぜシュウジはアムロとして存在していないのか

向こう側とこちら側のララァ(+エルメス)は姿が同一であるのに、なぜシュウジはアムロの容貌ではないのでしょうか。

 

ヒントとなるのは、終盤のシュウジの姿です。ジフレドによるイオマグヌッソ起動後は、精神体で登場し、ガンダムに搭乗した際に実体化しています。

 

これは、シュウジとは、向こう側のアムロの思念体であるためと考えました。

 

目の前でシャアが死亡するという絶望がトリガーとなり、パラレルワールドを創造してしまうほどの力を発揮したララァには及びませんが、アムロのニュータイプ能力はララァへの精神干渉をも可能としました。その結果、思念のみが向こう側に届いたと考えられます。

その過程で、ゆらぎが生じ、姿形が変化してしまったのでしょう。

イオマグヌッソ起動後に精神体となったのは、向こう側とこちら側の扉が開いたことで、不確定な存在となったからだと思います。

 

③ジークアクス=アムロではないのか

「僕はもう見たくない。またガンダムがララァを殺す光景を」というジークアクスから発された(古谷徹氏の)声、マチュの手に重なった誰かの手、これらの演出から、ジークアクスがアムロであることは疑いようがないと思います。

 

ただし、ジークアクスは、

 

シュウジやシャリアがいう向こう側(白いガンダムにシャアが討たれた世界)のアムロ

 

ではなく、

 

"別の"向こう側、正史ファースト(白いガンダムにララァが討たれた世界)のアムロ

 

が変異した姿と思われます。

 

 

つまり、別世界から来訪したアムロは二人(シュウジ+ジークアクス)いるのです。

 

アムロ(=シュウジ)がラスボスという設定に対しては、抵抗を示すファンもいるかもしれません。

だけど、アムロvsアムロという構図にすれば、むしろファンは喜びます。妙案ですね。

 

 

シュウジ=アムロ説の考察は以上です。

 

 

それにしてもこちら側に元々存在するアムロはどうなったんでしょう。連邦のエースを象徴する赤白青のトリコロールカラー機にはセイラが搭乗していることから、戦場には現れていないんだろうな。となれば、シャアのガンダム強奪時に巻き込まれて命を落としたか、はたまた技術者としての人生を歩んだりしているのか…

 

いずれにしても、もし続編が発表されれば、何らかの形で登場してくれそうです。

 

 

 

ファーストの知識がある程度必要となりますが、パラレルワールドという設定を活かした様々な演出により、視聴者の考察欲を刺激する作品でした。面白かった!

 

最後に…早くキケロガをプラモ化してくれー!カッコ良すぎるんやー!