学生の頃は親戚の従兄弟が山登りが好きなので、

それに引っ張られて

私も白山や立山に穂高など高い山にも

何度か連れられて行きました。

 

行くのは良いのですが、

準備もアレコレ大変だし、

昔なので山の下までバスで行って、

そこから歩いて登りますから、

夏は暑いし汗でベタベタになるし息切れもするし、

足元は悪いので無造作に歩くと滑落してしまうしで、

どうしてワザワザこんな辛い事をするのと思って登ってました。

 

登る途中で一服すると、

おむすびを食べたり周りの景色を見たり、

一面の花畑や沢の滝を見ると、

下で生活しているだけではこの世界は見られないと思うと、

感動が辛さを吹き飛ばします。

 

辛いし足は痛くなるし息切れはするし、

やっとの思いで山頂まで登ると、

視界は一遍に広がって、

眼下には低い山並みや平野が見渡せますから、

やはり山に登った人しか味わえない感動がありました。

 

降りる時はユックリと

周りの景色も楽しみながら降りますから、

登る時より楽ですが、

ぼんやり周りの景色に気を取られてばかりいると

滑落する恐れもあるので、

足元を確かめながらの下山となります。

 

この歳になると今は人生の下山です、

別に山に登らなくても普通に会社に勤めてお給与をもらって、

贅沢もせずそんなに遊びにも行かず、

日常生活を淡々とこなして人生を終わるのも良いでしょうし、

一度切りの人生なので自分の好きな事をすると言って、

挑戦して辛い目にも遭うのも面白いモノです。

 

山の頂上に登れば、

登らない人は味わう事は無い

色んな経験や辛い事を乗り越えて、

視野が一遍に広がった世界も見る事が出来ますし、

その経験は一生その人の記憶の中にあります。

 

でも、

無理してそんな辛い目に遭ってまで、

山に登らなくても普通に生活さえ出来れば良い、

家の周りを散歩する途中で

季節の移り変わりの景色が見られれば、

それで良いとの考えの人だと、

山に登った?それが何なのと思うだけでしょう。

 

どっちを選んでも自分の人生ですから、

好きな方を選択すれば良いだけです、

どうせ亡くなる時には全てを置いて、

裸で生まれた時と同じように亡くなるだけです。

 

私は太鼓持ち人生を選んで、

貧乏で周りの人達の中にお座敷遊びなんてした事も無いし、

ましてやお茶屋や舞妓・芸妓さんと

遊んだ事も無い人達ばかりの中から、

何の伝手も手かがかりも無い所から出発して、

お茶屋にも揚がり全国からも呼ばれ、

海外からも招聘状が来て行って来ました。

 

したい事のほぼ全てを済んで、

今は人生の下山途中、

足元に気をつけながら、

病気とも付き合いながら毎日を平凡に過ごしています、

戦争や自然災害や不穏な環境にならないで、

日常生活が淡々と出来て過ごせれば、

それで良いと思っているだけです。