弘法大師は奈良仏教から平安仏教へと転換して行く中で、

真言宗の開祖として台頭して来た人物で、

嵯峨天皇と橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に

三筆の1人に数えられている人物です。

 

四国の山や海辺で修行をして高知室戸の岬の洞窟で、

目に入るものは空と海だけだったので、

空海と名乗ったとも言われています。

 

私は修行してお腹がペコペコに空いて、

何か食べる物は無いかと探していた時に、

親切な人が食べ物を差し出して

「食うかい?」と聞かれたので「うん」と答えたところから、

この人は空海というのだと思ったのでは無いのかと思っています。

 

生まれは香川県の善通寺で、

今日が誕生日となってはいますが、

中国密教の不空三蔵の入滅を空海が産まり変わったと考えて、

今日を誕生日としただけで、

実際の所は分からないそうです。

 

31歳で唐に渡り、

長安の密教青龍寺で恵果(けいか)和尚から、

初対面で即座に密教の奥義を伝授され、

わずか1年で真言密教を全て学んだとも言われています。

 

その他にも土木技術や薬学など多分野に学んで帰国、

52代嵯峨天皇の庇護のもとで高野山を開いたり、

香川県の農業用溜池を改修したりして、

東寺を真言密教の道場としたりしました。

 

弘法大師が入定した後、

修行僧が大師の足跡をたどって遍歴の旅を始めたのが、

四国遍路の原型だと言われています。

 

別の説では、

イザヤ書には神はイザヤに対して

新バビロニア帝国が攻めて来る前に

アークを東の日出る国へ落ち延びよと書かれているそうで、

失われたイスラエル十支族の人達は落ち延びて、

日出る国に辿り着いて、

四国の剣山にそのアークを埋めたとか言う伝説があります。

 

日本は昔は

豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)

と言われていたが、

これを古代ヘブライ語で読むと

「東方の日の出る約束の地」となるとか、

大和(やまと)も古代ヘブライ語で読むとヤーウマトで、

神の選民の国となるそうです。

 

太鼓持ちとしては、

こっちの方がよっぽど面白いので、

剣山の山の中にアークがあるのではと探しに行って来ました、

それらしい岩穴がありましたが、

中は真っ暗で1人で入るには危険なので、

そこまでとして帰って来ました。

 

そのアークを埋めた剣山を守る為に、弘法大師は意識して剣山を守る為の結界として四国八十八ケ所の巡礼巡りをさせて、剣山を守っているのではとも言われています。

 

剣山に登った時に、年老いた地元のお婆ちゃんが居ましたので、この剣山にアークが埋められていると聞いて来ましたが、本当ですかとお聞きしたら、簡単にそうですよと答えられた、どうも地元では信じておられる様でした。