10日後の12日に行われる

奈良東大寺二月堂の「お水取り」の水を、

越前若狭の神宮寺が

遠敷川(おにゅうがわ)の鵜の瀬(うのせ)から、

香水を送る神事が2日に行われます。

 

東大寺二月堂を建立し

修二会(しゅじえ)を開催して全国から神々を招待したおり、

若狭の遠敷明神様が遅刻し、

そのお詫びとしてご本尊にお供えするお香水を、

若狭から送ると約束し、

二月堂の下に有る岩を叩くと、

綺麗な湧水が湧き出したので、

これを「若狭井」と名付けられたそうです。

 

お水送りの当日行った事は無いのですが、

ニュースで見ていると、

白装束の僧侶や山伏姿の行者を先頭にして、

長い松明行列が神宮寺から鵜の瀬へと2キロ程の道を歩いて、

住職が祝詞を読み上げて後、

竹筒からお香水を遠敷川に注がれます。

 

神宮寺の仁王門には本堂から少し離れた所にあって、

阿吽の木造金剛力士像が安置されていますし、

本堂は室町時代の建立だそうで、

本殿中には木造の男神様と女神様が安置されていて、

3つ共に重要文化財だそうです。

 

天台宗のお寺ですが、

礼拝する時には

住職はまず入って左側の神様に柏手を打たれます、

創建当時は勅願所で、

多分元々は若狭彦神社と若狭姫神社を、

遥拝する為のお寺ではなかったのかと思っています。

 

昔拝観しに行った所、

住職さんの説明は面白いし長いしで、

観光バスで来ている人達は途中で帰りましたが、

私は最後まで聞いて、

陰陽五行とも関係有る感じがしますと言いますと、

色々とお話して下さいました。

 

若狭彦神社は、

天照大神様のご命令にて天孫降臨された、

ニニギ尊様と木花咲耶姫様との間に生まれた、

山幸彦神をお祀りしていて、

海幸彦神からお借りした釣り針を無くして、

困っていた時に海の神の豊玉姫神が、

探してくれたご縁で一緒になったのが若狭姫神社、

この2つの神社を遠敷明神と言います。

 

豊玉姫神が出産の時、

見てはダメですヨと山幸彦神に仰ったのですが、

見てしまったので豊玉姫神は帰られてしまって、

困っていると妹の玉依姫神が来て子育てを手伝い、

子が成長すると2柱の神様は結ばれて、

お生まれになったのが神武天皇様、

天皇家のご先祖様ですから、

勅願所となったのだと思っています。

 

南の天照大神様をお祀りされている熊野本宮から、

直線で北に上がって行くと奈良の飛鳥京・平城京へ、

その北に京都の平安京、

その都を守る鞍馬寺や貴船神社を北に進むと、

福井県小浜市には天皇家と結びつく

若狭神宮寺・若狭彦神社・若狭姫神社と続きます、

さらにその北を行きますと、

常に神様が居られるからでしょうか

常神半島の先端に有る御神島です。

 

大和国と深い関わりがあるラインの北が若狭、

若狭のお水送りは何か深い意味が有るのかも知れません、

常神半島は常に神様が居られる半島で、

神様が居る島が御神島、

若狭には天皇家と結びつく何かが有るのだと思っています。