今日は京都の北野天満宮は梅花祭で、

梅の花をこよなく愛した道真公を偲んで梅の花を供えて、

厄払いが行われますし、

太閤秀吉が開催された北野大茶湯にちなんで

上七軒の舞妓・芸妓による茶湯のお手前が披露されますし、

天神市も開催されますから、

多くの人で賑わいます。

 

人に揉まれながら梅の花を楽しむ気にはなれませんので、

私は何時も今日の日は外して

梅を楽しむ為に春には北野天満宮にはお参りに参ります。

 

 

境内には梅の木が50種類ほど有って、

約1,500本の紅白や一重や八重などの梅の木が咲き乱れますし、

何時も正月頃から3月一杯までは楽しめるので、

行ける時に行って拝見してきます。

 

菅原道真公をお祭りしている天満宮は全国各地に点在していますが、

生まれたと言われている御所の西側烏丸通下立売下ルには、

菅原院天満宮神社があり、

生湯に使われたと言われている井戸も残っています。

 

京都の南丹市園部町には生身(いきみ)天満宮があり、

菅原道真公の知行所があった所ですが、

太宰府に流される時に、

そこの代官に8男の養育を頼んで祠を作って、

道真公が存命中に像を安置した天満宮と言われています。

 

山口県の防府市には防府天満宮があり、

道真公が亡くなられた翌年に建立されたと言われていて、

京都の北野天満宮と福岡の太宰府天満宮と並んで

日本三大天神とか言われています。

 

防府天満宮は菅原道真公が九州太宰府に流される途中で

本州最後の寄港地だったそうで、

願わくばこの地に住まいを構えたいと願いましたが、

叶わず太宰府に流されていった土地です。

 

第二の青銅鳥居を潜ると右側には茶室芳松庵があり、

楼門の左手には防府天満宮登録有形文化財の春風楼は二階建てになっていて、

見応えのある建物でした。

 

太宰府に左遷されてから

約2年間を太宰府の壊れかかった南館(なんかん)現在の榎(えのき)社で、

衣食住にも事欠く不遇の境地の中で過ごして、

お亡くなりになられました。

 

太宰府天満宮の境内も広いもので、

鳥居を潜ると心の漢字を模った心字池には3つの橋が掛かり、

過去・現在・未来を表していて、

橋を渡る事で心身を清めます、

途中に志賀社は綿津見の神が祀られています。

 

第二の鳥居を潜ると右手に宝物殿、

楼門を潜ると本殿右側には、

菅原道真公を慕って

京都から一夜で飛んできたと言われている飛梅があります、

何度お参りしても見応えのある神社でした。

 

一応名の通った天満宮にはお参りして来ていますが、

やはり京都の北野天満宮は行きやすいので、

新年から春に掛けては1度はお参りに行き、

帰りには境内前にあるあわ餅屋さんで粟餅を頂くのですが、

去年は改装していて食べられなかったです、

残念。