芸者は元々は芸をする者の意味なので、

昔は男の太鼓持ちの事を言ってました、

女性が宴席でお相手するのは全て遊女でした。

 

その遊女の中から、

体は売りません、

芸だけを売り物にしますと言って、

芸をする女(者)が生まれたのですが、

その当時は芸者は男の太鼓持ちの事だったので、

区別するために始めの頃は

「女の芸者」と言ってました。

 

所がやはり宴席で遊ばれる旦那にとっては、

私のようなむさ苦しい男相手に飲むより、

女性がお酒の相手をしてくれる方が

よっぽど良いと言う事で、

女芸者が増えて来てきました。

 

当然男の芸者の太鼓持ちの数を抜いてしまって、

いつしか女芸者の事を単に芸者と言うようになり、

今度は逆に、

太鼓持ちの事は「男の芸者」と

言われるように変化して来ました。

 

それから徐々に

男芸者と言うよりも太鼓持ちと言う方になりました、

それでも粋な遊び人ですと、

太鼓持ちの正式名称の「幇間(ほうかん)」さん、

なんて言うお客様も居られて、

 

幇間さんなんて呼ばれるお座敷は、

やはりお遊び慣れた旦那様のお座敷なので、

こちらも緊張はします。

 

芸者を京都の花街では、

芸妓と書いて「げいぎ」と

濁点を付けては呼ばせずに

「げいこ」と読ませています、

京の花街では、

言葉に濁点がなるべく入ら無いように、

雅な感じで呼ばれます。

 

それに芸妓さんは、

芸の技を持った女性なので、

女偏に伎の人偏を女偏の妓にして

「芸妓」となったとも言われていて、

 

芸妓になるには、

十人並みの女性ではダメだそうで、

十人以上の器量が必要なので、

女偏に十一人と書いた「支」

の漢字を当てたそうです、

面白い発想です。

 

そんな話が出るお座敷では

粋な旦那さんがお遊びになられていますから、

太鼓持ちとしても緊張致しますし、

それを表には出さないで、

お話に乗って話を盛り上げますから、

頭の中はグルグルと大変忙しい状態です。

 

京都で芸妓をするには、

王道として中学を卒業して

五花街の何処かの置屋(屋形さんとも言います)に籍を置いて、

この間に

心使い・礼儀作法・着付・踊り(祇園では舞で井上流です)

・三味線・茶道・華道など、

花街の女性として仕込まれる期間が

「お仕込みさん」と言われる期間です。

 

この修行に耐えて、

やっとお座敷に出られる「舞妓」になれます、

「店出し」の日を決めて、

支えてもらうお姐さんを決める姉妹の盃が交わされて、

姐さんの一文字を頂いて名前が付けられ、

約1ヶ月間程は姐さんに連れられての見習い期間になります。

 

そうやって一人前の芸妓さんになって行かれます、

やはり基本は相手の事を思って

気遣いが上手な子が伸びている感じは致します。

 

そんな話を今日はFBCラジオの午後8時45分から

「太鼓持あらいの好色浮世咄」でお話します、

聞いて頂ければ嬉しいです。