壬生寺は、

京都の都の四方を守る為に、

艮(うしとら)北東の表鬼門を守る

吉田神社に対して、

坤(ひつじさる)南西の裏鬼門を守る為に

置かれたお寺だそうです。

 

巽(たつみ)南東は伏見稲荷大社で、

乾(いぬい)北西は北野天満宮が

担っているそうです。

 

京都壬生寺の壬生狂言は、

無言劇の大念仏狂言の一つで毎年、

節分の節分会と、

4月の春の大念仏会と、

10月の秋の特別公開の

3回が開催されています。

 

仮面を付けた演者が

鉦・太鼓・笛に合わせて

無言で30の演目を演じますので、

「壬生寺のカンデンデン」

の愛称で言われています。

 

鎌倉時代に仏教を分かりやすく

民衆に説く為に、

大げさに身振り手振りで表現する無言劇を、

 

融通念仏宗の円覚(えんがく)上人が

創始されたと伝わっていて、

国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

4月の春の大念仏会は、

今日から5月5日までの7日間、

毎日午後1時から5時半頃まで上演され、

 

最初の狂言は、

出店を巡って太鼓売りと炮烙売りとが

争いとなり、

 

太鼓売りが約3メートルの高さの舞台から、

幾つにも積み上げてある素焼きの皿を、

次々と豪快に突き落とす炮烙割りです。

 

炮烙が落ちた場所からは、

砂煙が上がって、

しばらくは消えない迫力に、

観客からは歓声と拍手が沸き起こります。

 

壬生寺は江戸幕末に、

京都の治安維持を目的として活躍した新選組、

当時は壬生浪士組と言ってました、

の本拠地として壬生寺の北側にある

八木家に置かれていて、

壬生寺の境内は新選組の兵法調練場に

使われていました。

 

京の街の裏鬼門を守る壬生寺に、

京の反幕府勢力を取り締まる

京都見廻組の正規組織だけでは守りきれないので、

非正規組織の新選組が置かれたのも、

何かの縁かも知れません。

 

その新選組が遊んだ所が、

壬生寺から下がった場所に有った、

公認の廓である島原なので、

 

そこには

尊皇攘夷派の薩摩・長州の人間は目の敵、

危なくて行けないので、

非公認の祇園・先斗町・宮川などの

花街のお茶屋で遊んで、

芸妓達に随分助けられたので、

 

明治政権になってからは、

その恩返しの意味もあり、

京都五花街で遊ぶようになり、

栄えるようになったとか。

 

明治政府の決定は

宴席で決まると言われていて、

料亭政治とも言われていたそうです。