放課後の怪談
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マガジン内容(めんどくさいのでマガジン説明のコピペ←ヲイ)
『放課後の怪談』(ホラー系ブログ)からは心霊スポット体験談や怖い話などを、『**Raison D'etre**』(詩や日記系ブログ)からは女の子の為の最近の流行情報や笑えるor暖かくなる話を配信していきます★

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赤ん坊のスープ

都市伝説のジャンルに入れてもいい気がしますが、伝説と言われるものでもないかなと思い新たにテーマを増やしました。

「気持ち悪い話」というのを。

見たまんまですね(笑)


・・・とりあえず本題に。

私が見つけた記事によると、中国では赤ん坊を栄養食や漢方の材料として食しているのだそうです。

・・・うぇ。

しかも堕胎や生まれたての赤ん坊を使うらしい。

えげつないですね。

たしかに古来中国では猿の脳みそを食べたとかはありましたが・・・まさか赤ん坊までとは。

記事補完サイト「告発  非人間的な中国人は赤ん坊を食べる」

↑上のサイト、写真つきです。

まだ上のほうはそれほどえぐい感じではないですが、下の二枚(煮込んで完成した写真)はちょっと・・・うぇかも(何

まぁ、作り物かもしれませんが頭から疑うのもアレですし・・・。

信じるか信じないかは見ている貴方しだいです。

コトリバコ

ネットで今もその真偽が論争されている話題をひとつ。


『コトリバコ』というものです。


簡単に言うと呪いが詰まった小箱のこと。


正しくは『子取り箱』と書くんだそうです。


1860年代後半~80年代前半頃に作られたとされているものだそうで。


部落の人達が部落差別をやめさせるためにある人物から教わった呪物なのだそうです。


それは子供と子供を生める女を苦しみぬく形で取り殺すというえげつない物とのこと。


作り方もとってもえげつないです。


それというのも、箱の中には間引きされた子供の体の一部(指や臍の緒)とはらわたから絞った血を入れるそうで(もちろん、はらわたから血を絞るのだから子供は殺します)


たしかにそんなことすれば呪いも起きそうな気がしますが・・・まぁ、実際に起きた話かどうかは定かではありませんけどね。


下記サイトに詳しいことが載っているのでそちらをご覧ください。


本家「コトリバコ」(のコピペサイト)


(以下上のサイトの補助事項なのでまだ見ていない方は先に上のサイトをご覧ください。ちなみに本家はとても長いです/笑)



■「コトリバコ」の登場人物


A→男。この話を書いている人物、主人公。苗字がAA。
M→男。Aの友達で中学のときからの付き合い。

     霊感が強く、家が神社の神主さんの仕事を代々やっている。

     コトリバコの供養をする。
K→女。Mの彼女。
S→女。家の納屋からコトリバコが見つかり触ってしまう。

S父→Sの家族。
S母→Sの家族。
S婆→Sの家族。
S爺→Sの家族。
J→S家の隣のおじいさん。この人が本来コトリバコを持っているはずだった。
T家→S家やJ家とともにコトリバコを持ち回りで保管する家。

△▼→地域名。△▼の庄屋にコトリバコが上納される。

AA→隠岐の島の反乱を起こした内の一人。


■「コトリバコ」の作り方(本文抜粋)


M「それで、その方法がな、最初に複雑に木の組み合わさった木箱をつくること
M「これはちょっとやそっとじゃ木箱を開けられないようにするための細工らしい。
M「これが一番難しい作業らしい。お前らもちょっと見ただろ?あのパズルみたいな箱
M「アレを作るんだ。
M「次に、その木箱の中を、雌の畜生の血で満たして、1週間待つ
M「そして、血が乾ききらないうちに蓋をする。
M「次に、中身を作るんだが、これが子取り箱の由来だと思う。
M「想像通りだと思うが。間引いた子供の体の一部を入れるんだ。
M「生まれた直後の子は、臍の緒と人差し指の先、第一間接くらいまでの
M「そして、ハラワタから絞った血を
M「7つまでの子は、人差し指の先と、その子のハラワタから絞った血を
M「10までの子は、人差し指の先を
M「そして蓋をする。閉じ込めた子供の数、歳の数で箱の名前が変わる
M「一人でイッポウ、二人でニホウ、三人でサンポウ、四人でシッポウ
M「五人でゴホウ、六人でロッポウ、七人でチッポウ
M「それ以上は絶対にダメだとAAは念を押したそうだ
M「そして、それぞれの箱に、目印として印をつける。
M「イッポウは△、ニホウは■といった具合に。



・・・事実でも創作でもどちらにしろ人間の業って恐ろしいですよね。


呪いで「丑の刻参り」を思い出しましたが、あれは自分が刻参りをやっている最中を見られると死んでしまうんですよね。


それでも実行する人はなにがなんでも実行する・・・。


幽霊より妖怪より・・・何より恐ろしいのは"人間”――なのではないでしょうか。



★読者限定記事掲載:第一弾(通常は非公開で読むことはできません)★

牛の首2

前に書いた牛の首の二話目の短い話を具体的に(長文)書いた話を今回紹介します。


話の内容には障害者に対する差別のようなもの(なのかはわからないが)や少しショッキングな内容も含まれるので不快感がある方はこれから下は読まないほうがいいと思います。



戦前のある村での話だそうです。

その村には森と川を挟んだところに隣村がありました。(仮に「ある村」をA村、「隣村」をB村としておきます。)

B村はいわゆる部落差別を受けていた村で、A村の人間はB村を異常に忌み嫌っていました。

ある朝、A村で事件が起きました。

村の牛が1頭、死体で発見されたのですが、 その牛の死体がなんとも奇妙なもので、頭が切断され消えていたのです。

その切り口はズタズタで、しかし獣に食いちぎられたという感じでもなく、切れ味の悪い刃物で何度も何度も切りつけ、引きちぎられたといった感じでした。

気味が悪いということでその牛の死体はすぐに焼かれました。

しかし、首のない牛の死体はその1頭では終わりませんでした。

その後次々と村の牛が殺され、その死体はどれも頭がなかったのです。

普段からB村に不信感を抱いていたA村の人々はその奇妙な牛殺しを「B村のやつらの仕業に違いない」とウワサし、B村を責めたてました。

しかし同じ頃、B村でも事件が起きていました。

村の若い女が次々と行方不明になっていたのです。

いつもA村の人々から酷い嫌がらせを受けていたB村の人々は、この謎の神隠しも「A村のやつらがさらっていったのに違いない」とウワサし、 A村を憎みました。

そうしてお互い、村で起きた事件を相手の村のせいにして、ふたつの村はそれまで以上に疑い合い、にらみ合い、憎しみ合いました。

しかし、そのふたつの事件は実はひとつだったのです。

ある晩、村境の川にかかった橋でB村の村人たちが見張りをしていました。

こんな事件があったので4人づつ交代で見張りをつけることにしたのです。

夜も更けてきた頃、A村の方から誰かがふらふらと歩いてきます。

見張りの男たちは闇に目を凝らしました。

そして橋の向こう側まで来たその姿を見て腰を抜かしました。

それは全裸の男でした。

その男は興奮した様子で性器を勃起させています。

しかしなにより驚いたのはその男の頭は人間のそれではなく、牛の頭だったのです。

牛頭の男は見張りに気付き、森の中へ逃げ込みました。

牛頭の男はA村でも牛の番をしてた村人に目撃されていました。

その牛頭の男こそ、ふたつの事件の犯人に違いないと。

A村とB村の人々は牛頭の男を狩り出す為、森を探索しました。

結局牛頭の男は捕まりませんでした。

・・・いえ、実際には捕まっていました。

しかし、男を捕まえたA村の人々は彼を隠し、みんな口を揃えて「そんな男は存在しなかった」と言い出したのです。

A村の人々のその奇妙な行動には理由がありました。

A村の人々は牛頭の男を捕まえました。

その男は実際に牛頭なのではなく、牛の頭の生皮を被った男でした。

A村の人々は男の頭から牛の皮を脱がせ、その男の顔を見て驚きました。

その男はA村の権力者の息子だったのです。

この男は生まれつき、知的障害がありました。

歳ももう30歳ちかいのですが、毎日村をふらふらしてるだけの男でした。

村の権力者である父親がやってきて問い詰めましたが、「さんこにしいな。ほたえるな。わえおとろしい。あたまあらうのおとろしい。いね。いね。」と、ワケの分からないことばかり言って要領を得ません。

そこで男がよく遊んでいた、父親の所有している山を調べると、女の死体と牛の首がいくつも見つかりました。

異常なのは女の死体の首は切り取られ、そこに牛の首がくっついていたのです。

男は、B村から女をさらい、女の首を切り取り牛の首とすげ替え、その牛頭の女の死体と交わっていたのです。

権力者である父親は息子がやったことが外に漏れるのを恐れ、山で見つかった死体を燃やし、A村の村人に口封じをし、村に駐在する警官にも金を渡して黙らせました。

そして息子を家の土蔵に閉じ込め、その存在を世間から消し去ったのです。

しかし、村の女たちが行方不明のままのB村の人々は黙っていません。

特に、あの夜実際に牛頭の男を見た見張りの4人は、「牛頭の男など存在しなかった」と言われては納得いきません。

村人みんなで相談して、その4人が警察に抗議に行くことにしました。

次の日、川の橋に4人の生首と4頭の牛の生首が並べられました。

A村の人々は真実が暴露されるのを恐れ、B村を出た4人を捕らえ、真実を知っているにも関わらず、B村の4人に全ての罪をかぶせ、私刑(リンチ)し、見せしめに4人の首をはね、さらし首にしたのです。

一緒に牛の生首を並べたのには、「4人が牛殺しの犯人である」という意味(もちろんデマカセではあるが)と、「真実を口外すれば同じ目にあうぞ」という脅しの意味がありました。

この見せしめの効果は大きく、B村の人々はもちろん、A村の人々自身も「この出来事を人に話せば殺される」と恐れ、あまりの恐怖にこの事件については誰も一言も話そうとはしなくなりました。

ふたつの村の間で起きたこの出来事は全て村人たちの記憶の奥深くに隠され、故意に忘れさられ、土蔵に閉じ込められた男と一緒にその存在自体を無にされたのです。

私に見えるもの

毎日ではないが、夜寝ようと思ってベットに入り、目を瞑っていると見えてくる映像がある。

それは脳内というか瞼にというか・・・瞑っているから視覚で“見ている”という気がしない。

とにかく、目を瞑ってなかなかそれから寝れないとき、見えてくる映像があるのだ。

それは知らない人物の顔が次々と浮かんでは消えたものだったり(とある人が言うにはその日見た自縛霊の顔らしい)、変な細かい光(カラフル)がどんどん出てきたり・・・とにかく意味がわからない映像ばかりなのだ。

夢、と言えればいいのだがあいにく覚醒しているときに見ているので夢とは言えない。

あと幻覚、と言うにははっきり見えている。

自分の頭がおかしいとも思ったが、ここまで深く考えれる時点でそう頭が狂っているようにも思えない。



私が見るビジョンがなんなのか・・・知る由もない。

聞こえてくるものは...

我が家は鳥を数羽飼っているのですが、夕方までみんな仕事で家にいないこともあり、寂しがりやな鳥たちのためにラジオをつけて出かけます。



その日の夕方はとても疲れていて、いつもなら帰ってきてすぐ夕飯の支度やら犬の散歩やらするのですが、体もぐったりしていたのでそのラジオがついたままの部屋のベッドで半ば倒れるように寝転がりました。


ラジオを消すのも面倒だったので少しうるさいなと思いながらもそのまま寝転がって目を瞑っていました。


それから少し経って・・・



「あれ・・・?」



聞こえてくるラジオの音にかぶって明らかにそのchとは違う声がありました。


最初はアンテナのせいかと思っていましたが、その声はチューナーに触れていないのにもかかわらず段々と鮮明に聞こえてきました。



『――――――― ・・・』



その声は、お経でした。


ひたすら読経している声。


いつになったら終わるのかとずっと聞いていましたが、結局私が折れるまでその声は永遠と読経していました。



・・・あのラジオ放送はいったいなんなのでしょうか。


ちなみにその読経の放送は今でも聞こえてきます。

鮫島事件

今ではTVでも話題にあがるほどの大規模掲示板『2ちゃんねる』にて今もその真偽が論争されている話題。

『2ちゃんねる』の暗部とも言われる話です。

私個人の意見ではどうにも納得できない部分も多く、作り話ではないかと思っているのですが前出のとおり真偽は定かではありません。

とりあえずこの『鮫島事件』についての内容を、その『2ちゃんねる』に立っているスレから拾いたいと思います。


3 ::2005/12/10(土) 23:56:04
まず正確には例の事件は2ちゃんで起きたものではない。あの事件は2ちゃん以前に
存在した大型掲示板「あめぞう」で起こった。まず最初に事件とは直接の関係は無いが、
鮫島事件の持つ影響力を物語る事例を。あの事件以後、鮫島というハンネを持ったやつが現れた。
無論、偽者だ。そいつは冗談で鮫島を装って書き込みをしていたのだがそれが
あめぞうのユーザーにはジョークとして受け入れられず散々に叩かれた。
こいつのせいで鯖が三つも落ちたからあめぞう住人の反応たるやそれはそれは
凄まじかった。「あめぞう」衰退の原因はこの偽者も含めて一連の鮫島事件に起因すると思われる。

4 ::2005/12/10(土) 23:56:35
さて、前置きはここいらにして鮫島というハンネにここまでの嫌悪感、過剰反応を取らせた
事件の核心に迫ってみよう。ここからはsage進行に協力してくれ。
ヒントは2ちゃんねるでいう実況系。鮫島というコテハンをオフでJR柏駅前に呼び出し
20人でリンチし殺した。虐殺と言ってもいい。その模様を実況したのが「鮫島スレ」と呼ばれるスレッドである。
鮫島事件が語られる時、「血の16画像」という単語がキーワードとして出るが
それは実況の際うpされた画像のことである。柏駅の看板を撮った1枚目から始まり
最後の16枚目には殺された鮫島の千切れた指だけが写っている。
これらの画像の残虐性はグロ耐性のある人でも目を背けそうになる程のものだという。
背景に潜む性質上、出回ることの無い画像である為、俺も全ては見たことが無いが、見ることの
出来たすうまいは相当なものだった。

5 :& ◆v8QaCqthGs :2005/12/10(土) 23:57:17
ちなみに過去2ちゃんで起きた「ディルレ事件」。有名な猫虐殺実況スレで
うpされた画像の中で殺された子猫の首にディスクが巻かれ「私は敗北主義者です」
と書かれていた。これは件の画像集をパロディーにしたものだった為、当時の住人の逆鱗
に触れて祭り状態になった。
さて、何故座目島がリンチされるに至ったか? 彼はあめぞうでビデオ販売をしていた。
ビデオの内容は障害者学級の女児を虐待強姦して嬲り、最後には殺してしまうといった
鬼畜ビデオである。通称「みずき」と呼ばれる。そのうちビデオの撮影者が販売者の鮫島本人
であるのでは無いかという憶測が飛び交った。鮫島本人がそれを否定せず自らの素性について
何も語らずに煽られるままに放置していたので却って真実味さと不気味さが増していった。
鮫島からビデオを買った者の性格な数は不明。ビデオに関する補足は後述する。
とにかくそのビデオの評判は悪かった。そこで正義感に燃えたあるコテハン、eomという男が鮫島にオフを持ちかけた。
リンチの主謀人は彼である。そして柏駅にはeomが仕組んだ策略により鮫島は集団リンチされ殺された。

6 ::2005/12/10(土) 23:58:07
だけではタブーにはならない。オフに現れた鮫島と思われた男は本人では無かった。
調子に乗って鮫島を語ったばっかりに偽の鮫島は殺害された。あめぞうに現れたニセの鮫島
の叩かれ方もこれに所以する。一連の事実を知る住人からは極めて不謹慎に見えたのだろう。
2ちゃんであれば許容されたかも知れないジョークも。
そして当の鮫島本人はというとその実況で男の虐殺される経過を見て激昂した。
どういった技術を用いるのかは俺は知らないが後日書き込みからリンチに加わった人達の住所を特定し
分かっているだけでも2人を殺した。その事を鮫島は前回の報復であると書き込みをする。
また鮫島スレに関与した物は皆殺しにしてやる、とも書き込んだ。
これはあめぞうユーザーを震撼させた。
この時点ではまだ事件の事は警察に発覚していなかった。
その頃、ネット掲示板は現在と違いまだ極めてアンダーグラウンドなものであった。


7 ::2005/12/11(日) 00:02:22
eomは主謀者である自分が鮫島に必ず殺されるであろう事に脅え警察に自主する。
しかし警察は事件の経緯を知り閉口。ネットがさほど浸透していなかった当時にすれば
この事件は極めて異質であった。被害者は実は無関係者、加害者は正義感に燃え私刑を
加えようとするもその方法は集団でのリンチでしかも被害者が苦しむ様を
実況しそれをカメラに収め公開するなどの猟奇性を持ち併せた愉快犯的側面もある。
殺害目標となった当の鮫島は知的障害者の女児を強姦殺害したポルノビデオを
ネット上で売り捌き、リンチのあったことを知って復讐として関係者2人を殺している。
あめぞうという掲示板自体にはまず、そういった類のビデオの販売を黙認した罪と
同じく残虐な犯行の実況も放置していた罪がある。
そして県警は対応しきれずにあろうことか事件の究明を放棄した。
普通の殺人事件として処理し、一人の男が殺された事にある背景を無視した。
現在、公安はこの過去の汚点を隠蔽。曝されると希代の不祥事になってしまうので
巷にこのことが暴露されないように極秘で逃亡中の鮫島を追跡している。

後、eomとハンネは「厳」という苗字のハングル読み。在日韓国人だ。
在日が絡んだために、余計に警察は面倒に思い操作がおざなりになったとの見解もある
公安はこの事件自体を無かったものにしたいらしい。事件の存在を否定、躍起になって隠蔽している。
「鮫島事件」に触れるとき、必ず「消されるぞ」というレスがつくのも、住所特定能力を持つ鮫島が
現在も野放し状態である事と、警察の不祥事といったことに纏わる。

8 ::2005/12/11(日) 00:03:46
この事件にはネット掲示板の匿名性が孕む危険性と、それ故に自制心のタガ
が外れてしまうこと。在日、障害者、児童ポルノ、警察の怠慢と隠蔽、猟奇的な
殺害方法、事件自体が恐らく迷宮入りである事。また鮫島の素性が元・教師では?と囁かれている
事など様々な要素が混在している。

そしてもう一つ。2ちゃんでこの事件が禁忌とされる本当の理由。それは例の
「鮫島スレ」に2ちゃん管理人ひろゆきの書き込みがあったからである。
それがどういった類の書き込みであったかは事件直後の「あめぞう」閉鎖により知る
由も無いが、2ちゃんで行われる鮫島関連の真相に触れた書き込みの削除などから
推測すると悪意の篭ったものであったのかも知れない。
現在、鮫島事件は「牛の首」という恐怖噺のように中身の存在しないジョーク
であるという認識のされ方が定着しているが、それが隠ぺい工作の一環であると
いう事を忘れて欲しくない。

この書き込みをするには大変な決意が要った。
決して忘れて欲しくない。書き込みが消される前に是非保存して貰いたい。
その後、この事実を広める広めないのは貴方たちの判断に委ねる。

最後に一言自分の主張を述べて書き込みを終える、

この事件がやがていつかは表沙汰になり、
それによってネットを含めた日本社会が浄化される事を
希求してやまない事を。

では。
参考:「鮫島事件について語らせて貰います」  


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/02/01 02:56 ID:1bRoA2Zk
 ●2年前鮫島問題は2ちゃんでかなり騒がれた問題だ。
 ●この話は2chに来てる人間にとってはいわば「タブー」なんだよ。
  (一番の根底)
 ●2年前の埼玉県柏市の出来事だ。
  (柏駅20人)
 ●「鮫島殺し」の騙りが大量に現れてラウンジでうるさかった。
 ●「車ではねちゃった」って奴か?
  (ズンドコベロンチョ)
 ●鮫島が1人で教室で初めたのが、鮫島問題の始まりだった。
  (立命館大学、ハンドル使用の発端)
           ・・・
 ●鮫島の増殖もすごかった。共有ハンドルだったろ?
  舐め次の前に鮫島ありき。これがラウンジの歴史(藁
 ●「生で繋いでる奴はいないよな?」 は
  「アングラをなめると痛い目見るぞ」につぐ名セリフ
  (書き込み本人の特定を防ぐ、アングラ社会で基本)
 ●ネカマロボ絡みの事件だよな、これって?
  最初はドキュソな男を引っ掛けるだけのつもりが携帯の売買をめぐる
  犯罪が明らかになって大騒ぎ、挙句の果てに・・・だったような。
  (?犯行にあたりトバシの携帯使用?)
 ●ネカマが男を釣って柏駅に呼び出して集団でボコるていうスレだったんだけど
  その内の一人の「鮫島」って言う奴が死んじゃったていう話。
  (「鮫島」呼び出し目的でネカマではなく女性が実行していた話も。)
  (??みずき画像・みゆき画像とかrieともいわれます??)
 ●鮫島って固定がネカマ厨房に呼び出されてボコられて氏んだ事件だろ。
  それ以上でも以下でもねえ。

参考:「鮫島事件」



『鮫島事件』については取り上げてるサイトが他にも色々あるんですが、どこもいかにもオブラートに包んだかのような内容だったのでこのふたつに絞りました。

この集団リンチ事件の他に、孤島説もあります。




9 :名無し物書き@推敲中?:2005/12/11(日) 00:12:25
 鹿児島県沖に浮かぶ鮫島。ここに5人の2ちゃんねらが遊びに来た。
しかし、彼らはそのまま行方不明に。
ついには鮫島周辺の捜査が行われたが、
彼らを発見する事は出来なかった。
やがて半年ほど後。そのうちの四人は白骨死体となって、
それぞれにゆかりの場所へと送り届けられた。
しかし、公安関係者の身内とされる最後の一人の行方は、杳として知れないままだった。
そして、四人の遺骨が送り届けられた翌日、
2ちゃんねるに最後の一人と思われる人物の書き込みがなされた。
「鮫島にいる」と。
しかし、このとき2ちゃんねるは投稿者のIPを記録するシステムをとっておらず、
果たしてこの投稿者が最後の一人なのかどうかを判断する事が出来なかった。
その後、再び捜査班が鮫島に入ったところ、
この最後の一人と思われる人物の死体を発見した。
この死体は動物に食い荒らされ、
激しく損傷していたがその中には人間のものと思われる歯形も残されており、
また頚部には圧迫されたような痕跡があったという。
参考:「鮫島事件について語らせてもらいます」



この孤島事件は問題外ですね。

実際に鮫島は存在してるんですが、こういう事態にはまずなりそうにありません。

あえてこの場で『鮫島事件』について“こうだったんだと思う”と断定するのは避けますが、この内容を見て総合的に判断した結果のあなたの意見はどうでしょうか。



彼が見てるもの

私には腐れ縁で今も付き合いのある異性の友達がいます。


彼とは小学生時代から今まで、ときどき互いの家で語り合ったり遊びに行ったりしてるのですが、思えば小学生の頃から彼は不思議な人でした。

部屋の中の何もない一点をただじっと見つめていたり、誰かを見ていたかと思ったらそのすぐ後方の何もないところを見ていたり。

なので彼は小学生時代から『変なヤツ』で有名でした。

クラスではひとり浮いた存在。

でも彼はあまりそのことを気にしているようには見えませんでした。

それに、そのことを除けば手先の器用なゲーム好きの普通の少年でしたし。




そんなある日、彼が私の家に遊びに来ました。

そしてリビングに招いて私がコップにお茶を注いでいるとき、彼は訝しげに“ある一点”をじっと見つめていました。

それは・・・

私が生まれたときに祝いとしてもらった手作りの市松人形。

古来から人の形をとるものには魂が宿ると言われていましたが、まさかうちの人形にも・・・?

少し不安に思って彼に「どうしたの?」と聞きましたが笑って誤魔化されてしまいました。

でもあの目は、ただ単に人形を見るという目つきではなかった気がします。


・・・彼はうちの市松人形に、何を見たのでしょうか。

牛の首

いろんな都市伝説検証・紹介サイトをまわっていると、私も「これは知らないな~」という話がいくつもあります。

これはけっこう有名な話らしいのですが(ちらっとは聞いたことあったんですけどね)内容はあまりよく知りませんでした。

今日はその手の話では有名らしい『牛の首』を取り上げたいとおもいます。



「明治初期、廃藩置県に伴って、全国の検地と人口調査が行われた。
これは地価に基づく定額金納制度と、徴兵による常備軍を確立するためであった。
東北地方において、廃墟となった村を調査した役人は、
大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。
調査台帳には特記事項としてその数を記し、検地を終えると、
そこから一番近い南村へと調査を移した。
その南村での調査を終え、村はずれにある宿に泊まった役人は、
この村に来る前に出くわした、不可解な骨のことを夕食の席で、
宿の主人に尋ねた。宿の主人は、関係あるかどうかは分からないが・・・
と前置きをして次の話を語っ た。

以下はその言葉を書き取ったものであります。
天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。俗に言われる天保の大飢饉である。
当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、
行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、
情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」といった悲惨な状況であった。

天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。
数人の村人がつかまえようとしたその時、
松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、
「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」
口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。
翌日には村中でその話がひそひそと広がったが、
誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。
また、その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかった。
翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。
その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配は
なかったとのことだった。それ以後、「牛の村」とその村は呼ばれたが、
近づく者もおらず、今は久しく、その名を呼ぶ者もいない。
重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を
立った。役人はその場での解釈は避け、役所に戻り、
調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。
先輩は天保年間の村民台帳を調べながら考えを述べた。

大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、その大木のあった村では、遺骸だけではなく、
弱った者から食らったのであろう。
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、
牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。
おまえの見た人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。
牛骨も家畜の数と一致する。
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。
村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、
その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。
このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。
また南村に咎を求めることもできまい。
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、
この事が話されるのもはばかりあることであろう。
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず、
心の奥底にしまい込んだ。
日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は、戦乱の世を憂い、
枕元に孫たちを呼び寄せ、切々とこの話を語ったという。
この孫の中の一人が、自分である。
当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後に分かったことがあった。
何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り、
食らったのが真実である。そうでなければ全員の骨を誰が埋められるものか・・・

それゆえ、牛の首の話は、繰り返されてはならない事だが、
話されてもならない話であり、呪いの言葉が付くようになった。
誰の口にも上らず、内容も分からぬはずであるが、
多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、
それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものである。」

『真・都市伝説101夜』より 
サイトはこちら



検証

『牛の首』という話はこの世の中で一番怖い話で、語ったもの・聞いたものの両者に死が訪れる呪われた話でもあります。

元々の発端は小松左京の『牛の首』という短編。

しかし、この話は実は小松左京の創作ではなく、その話の元となった『牛の首』というのがさきほど紹介した飢饉の時の人の業を描いた『牛の首』

しかも噂によるとこの話、あまりの恐ろしい内容の為誰もその真の内容は知らないとのことらしいです。

それとあの話の他に似たような話でもうひとつ。


隣り合う2つの村から女性と牛が消えていくという事件が起こった。

お互い相手の村のせいにし合っていたが、犯人は一方の村の村長の息子だった。

女性をさらっては首を切り落とし、そこに牛の首を据え付け自分も牛の頭皮を被っては女性と行為を繰り返していたという。


この他にもまだ関連した話があるようですが、何しろ情報が氾濫しているのでこれ以上の詳しい話はまとめようがありません。

ちなみに『2ちゃんねる』という今では有名な掲示板での禁句ワード『鮫島』の話を隠蔽するための話だとする説もあるようです。


この『鮫島事件』はまたいつかお話しましょう...

口裂け女

ある日、男の子は学校の帰り道で女の人に呼び止められました。


その女の人は男の子に「私キレイ?」聞いてきました。


彼女は大きなマスクをしていましたが、すっきりとした目鼻立ちから美人だと分かったので、男の子は「きれいです」と答えました。


すると女の人はマスクを外してこう言いました。


「これでも私キレイ?」


マスクの下の女の人の口は、耳にまで達するほど大きく裂けていました・・・




言わずと知れた口裂け女のお話です。


この口裂け女が最初に目撃された時期が昭和54年、西暦でいうと1979年の頃らしいです。


場所は岐阜県。


今のような「手術失敗・ポマード嫌い・べっこう飴好き」などという形になったのはどうも80年代らしいです。



ちなみに私が聞いた口裂け女の元になる話は岐阜県の某トンネルの話。


そのトンネルは毎年死者が出ているいわくつきのトンネルで、幽霊のようなものが出ると噂になっていた。


しかし近くに新しいトンネルができたこともあってそのトンネルは使われなくなった。


それでも近道になるということもあって、たまたまそのトンネルを通ったとき女の幽霊を見たという人がいて、地元では幽霊トンネルと噂が広まっていた。


・・・このトンネルに出る幽霊がのちに「口裂け女」という形となり全国に広まる、というのが聞いた話です。



その他に岐阜県発祥前にすでに口裂け女がいたという話もあります。



それは江戸時代のこと。


大雨の日に、ずぶ濡れになってる女を不憫に思った男が傘に入れてやろうとして女のほうを見たら、その女は耳元まで口が裂け髪もざんばらな化け物のような女だった。


男は精神を病み、のちに死んだとのこと。



まだまだ説はたくさんあるようですが挙げたらきりがないので今回はこのへんで。