ドカ鬱のせいかは分からないが、眠れない。

前回のオールカラオケの余波も相まって、時刻は深夜の1時30分を回ったところだが、俄然眠気は迫ってこないままに、もう、何してんの、というくらい目は冴え渡っている。冴え渡っているので、これを書いている。

冷え込んだ空気が、換気のために開けた窓から流れ込む。鼻の奥を少しだけ刺す、冬の匂いに、ああ、まだ生きているのだな、と思う。少しだけベランダに出て、車の往来を眺める。あと30分もすれば、長距離トラックすら走らない、目の前の国道は、一過性の車列を作って、3色の瞬きに、一進一退して、暗い街の端にテールランプを踊らせている。

ドカ鬱、という言葉は至極便利だ。この三文字に、書き手本人のあらゆる葛藤や、感情や、状態が、全て込められている。なんと便利なことだろう。希死念慮、などという直接的な語彙がなくとも、この三文字には華麗に要約されてしまっている。そんなに華麗ならもっといい選び方があったろう、とも思うが、そんなのは野暮で、簡潔かつ読み手が、明快に分かる、そんな文字の方がいいのだ。これで深鬱とでもやってみれば、全員が、二字熟語で、深、がつく一般的な語彙……と考え、深酒、深海などを思いつき、じゃあ何さ?ともう少しめぐらすと、ただ鬱状態が深まっているだけであることに気付き、一定数の読者の反感を買いかねない。戦争というのはいつもそういった小さな火種から延焼し、気付くと死者多数になる。


鏡を見る人間は、見ない人間よりもいくらか精神が穏やかである、という眉唾物の説を見たので、実践してみたところ、鏡に映るのは、劣悪な肌環境と豊富な体脂肪を蓄えた気味の悪い男で、これで精神が穏やかになるのは、よっぽど肌ツヤもよく、スマートで、なんなら胸筋が発達しているような、人生で自分にケジメをつけて頑張ってきた人間たちであって、自分のような、何かを変えるために頑張ることすら出来ない、目先で結果の出るもの、長期的な、それは例えば筋トレであったりダイエットであったり、スキンケアであったりするが、そういうことに億劫な人種というのは、全くこれは効果をもたらさないことがわかった。非常に時間の無駄であり、精神衛生上よろしくない。この風説を流した輩をとっ捕まえて、真意を吐き出させたい。なんなら鼻っ柱を折るくらいしても、精神異常で無罪放免になるくらい、今の自分は哀れだ。どのくらい哀れかというと、朝から晩までベッドに寝転がり、たった1回のスクワットをするために起き上がれないくせに、小腹がすいたとわざわざ着替えてコンビニまで買いに行くことは出来、起立するのは入浴と食事くらいで、ずっと部屋にこもり、音楽を目指すものとは思えないくらいギターを握らず、「死にたい、死なせて」などと、売る気があるかも分からん深くもない歌詞をノートに書きなぐり、その己の姿を勝手に想起し、悲しくなり、またベッドに潜り込み、気づけば夜明けで泣きながら明るい中、眠る。そんな悲惨さである。なぜ生きているのか分からないくらい悲惨である。じっとしているだけでは何も変わらないことを、この、自堕落で後悔まみれの人生にて学んだはずであるのに、また、このバカは変わらんのだ。変わらないくせに人を馬鹿にするその性分だけはいっちょ前に持っていて、今日も、窓から街を眺め、あの車は減速していない、小学生の下校列にそんなに地域ボランティアが必要か?などとブツブツ悪態をつき、またカーテンを締め切って、脳内妄想で勝手に人と結ばれ、勝手に人を論破し、自堕落に夜になると、エナジードリンクを飲みながら、ひとつなぎの大秘宝をみるのだ。こんなカスに等しき人間に、自らの冒険を覗かれていたら、さすがのルフィだって激怒するだろう。お前もう、船(この世界から)降りろと言っても、サンジはルフィを蹴り飛ばさない。むしろ大肯定だろう。なぜなら自分は、今後1000年かかっても誰も真似出来ないほどの敗北者だからだ。ゴミ山大将にもなれない、デコ助、いや、デブ助だからだ。何をしていれば自分は人間としていられるだろうか。誰にも届かないSOS信号を打っていても、結局自らを責め、夜な夜な、こんな駄文を世界に垂れ流し、また、涙を流しながら、朝焼けの中眠るのだろう。およそ6時間後、自分は、きっとそうなっている。