①の時と同じ道を辿っている。ゴールデンウィークの東海道新幹線は、折しも帰省の影響で、駅という駅も、席という席もごった返している。指定席の方は、満席だそうだ。高い金を払って満員の3人がけ、それも真ん中に座っている苦労は、腰痛持ちの自分からすれば信じられない行為である上に、とても尊敬の眼差しを向けずにはいられない。
前回と違う点は、窓の外が夜だということである。京都駅を軽く流れるように出たのぞみ53号は、亜光速かのような勢いで走り出し、渋滞している道路の横を、我が物顔で滑る。雨の影響で電線が不安定なのか分からないが、速度が露骨に落ちたり、上がったりする。この10号車の天井を貫くライトは、時折ジーーーと音を立てて、一瞬瞬く。電線が不安定ということは、電波も不安定であるということだ。うーん、こりゃあまりブログを書いとる場合ではないな、と、持ってきた本を読む。久方ぶりに読む本だ。『海辺のカフカ』。この時点でもう、お察しのいい方は分かるだろうが、なんか、文体が似てしまっている。内田百閒をひたすら読んでいた時も、三島由紀夫を読んでいた時も、筒井康隆でも、町田康でも、同じことが起きた。避けるべき事案なのかもしれないが、結局同じ道を辿ってしまうのは、学ばない知能指数というより影響の受けやすさであると思う。そして個人的な意見だが、数ある作家の中でも、村上春樹という人物の描く物語は、群を抜いてコーヒーを飲みたくなる。アイスや牛乳を混ぜ込んだオレやラテではなく、ついさっき抽出したばかりなように熱いブラックコーヒーだ。と思って車内販売で買ってしまった。熱い。かつて『ツイン・ピークス』に出てくるクーパー捜査官は、吐くほど熱いのがうめえ、と言ったが、誰しもがそういう訳では無い。全く調子よく火傷してしまった。緑茶を飲んで、なるべく傷を浅くする。カフェインをカフェインで治療するとは荒療治にも程がある。
東広島駅を抜けた頃だろうか。トンネルの外に、白い月が座っていた。気圧の変化をモロに受ける鼓膜と違い、大したことなく機能し続ける網膜は、それをハッキリと意識の中に刻みつけた。鎮座し続ける月は、またトンネルに入って抜けた時、顔を隠していたが、新岩国駅を通過する頃にはまた顔を見せ、微弱な風に揺られる瀬戸内海の、その波間の上を、ゆたりゆたりと泳いでいる。夜の窓越しの景色は、外の暗さとヘッドライト、車内のぼんやりとした照明の中に浮かぶ自らの顔を混ぜ、幻想的な世界を映している。その月が照らす幻想的な世界は、外の晴れ具合を示し、乗り込んだ頃の愛知県の湿気など忘れてしまう。
そんなこんなするうちに到着。寒い。昼間の名古屋にあった湿気と熱気は去ってしまい、ひゅうと乾いた風が服の隙間に入り込む。寒い。上着なんていらないと思ったのが間違いであった。古い歌や映画に出てくる『からっ風』というのは、こういうものなのだろう。
ひょおお、と吹きすさぶ中を、薄手のローリング・ストーンズが描かれたトレーナーで歩く。寒い。どうしてこうも寒いのだろう。気温を見ると12℃だというが、全くそうは思えない。寒い。体感温度はきっと1桁を切っているだろう。寒い。ああ寒い。
帰り道。ゴールデンウィーク最終日ともあって新幹線はごった返し、1~7、11~16号車は全席指定運行で満席、グリーン車も残り二つという盛況具合で、なんとか席を確保することができ、発車間際だったのぞみ26号に乗車する。本当になぜかは分からないが、山口県に存在する在来線よりも、地元を横断する在来線よりも、新幹線は暑い。外の空気が嘘かのように湿っている。夜は寒くて昼は暑くて車内は蒸し暑いのかよ、と思いながら着席。眠たいがホットコーヒーを飲むのはやめておこう、何かエナジードリンクをば、と思ったが、一向に車内サービスが巡回せず、たまに来たかと思えば警備員のみで、ああ、もう、こんなにも扁桃腺が腫れているのに水がないよ、眠たいしどうするんだ、と後悔してもあとの祭りで、帰り道特有の時間感覚の速さは凄まじく、あっという間に山陽新幹線は終了を告げ、気付けば京都、東海道新幹線が太平洋側を走行することとなった。西日本を数日間の間に覆った薄い雨雲は、流れ流れて新神戸の辺りから景観を曇らせ始め、名古屋に着く頃には、曇り空に時折見える青のコントラストが、湿っぽくも綺麗でなんとも不思議だった。名古屋の街並みは、数日前と何ら変わらず、むしろ山口との対比で汚く見えるほどだったが、如何せん地元であるからして、見慣れた景色だ、これは落ち着くべきものだと言い聞かせて、いつもの在来線に乗り込んだ。さっきまでいた県には、全くと言っていいほど混雑は見受けられなかったが、さすがは人の数が多いだけの街、名古屋。怒涛の迷惑行為をはたらく人間がうようよと座っている。満員にも関わらず荷物を堂々と座席に置く者、網棚を無視して絶妙に大きい荷物を床に置いて他の乗客を立たせることすらさせない者、大きな声で喋り続けるビタっとしたジーンズを履いているモヤシのような者、本人からすれば芳香なのだろうが、他人からすればありえない異臭に思えるそれを、堂々たる顔で振り撒く胡散臭い者、魑魅魍魎の類。まあ、これが名古屋であると思えば名古屋なのだが、結局地元である故の嫌悪感は拭えず、諦めの中で最寄り駅を降りる。久方ぶりの最寄り駅は、名古屋駅の数倍は湿気っており、朝方の山口県がもたらす薄ら寒いあの空気を遮るための、数日前には着用を後悔した薄いトレーナーを、また汗ばむ後悔の中、うんうん唸りながら肌に着せて歩く。久しぶりに帰ってくると、ただ鬱陶しかったはずのこの道が、なんだかとても安心するように思えた。味変、というのは大切である。