2002年11月末にクローン病が寛解期になったので、退院しました。
2003年4月に娘を出産
その間、名古屋市内で、外科医内科医の潰瘍性大腸炎とクローン病の専門医が、横浜と東京から来て、講演会があり、入院していた病院の患者会のメンバーで話を聞きに行く機会が有りました。
話を聞いた後、質疑応答があり、最初に会場着いてすぐ、質問の有る方は事前に用紙に書いて下さいとあったので、書きました。
もちろん妊娠していたので、この子に対する事でした
と言うのも、薬をステロイドをかなり飲んでいた事と、治療しながらだったので、五体満足で産まれてくるのか?
それと遺伝してしまうのか?です
内科医の先生が答えて下さり、確か記憶では東京女子医科大学附属病院?の医師だったと思ってるんですが、ゴメンなさい
13年前の記憶なんで
先生の話では
クローン病は自己免疫疾患だから、自分の体を自分で攻撃するんだけど、妊娠すると異物が入って来た事で攻撃をしなくなるそうです。
そして、私の薬の量を聞かれ、ステロイドのプレドニンが1日何gで何日間なら問題無いと…
そして、遺伝性は無いって言われました
そして4月に出産
男の子2人居るので、今度産むなら、妊娠出来たら女の子がいいなぁ~♩
と思っていて、まさかのでしたので…
念願の初の女の子
幸せでした~
この子も1歳になってから、HTLVの検査しましたが、陰性でした
同じ私のお腹から産まれたのに、生命の不思議です
兄じゃ達とは違い、何のアレルギーも無く、スクスク成長してくれました
その後も、寛解期が続き、娘も幼稚園入る前の児
館での幼児クラブデビュー
その頃から、チョットお腹に違和感を感じていました。
先に登園していた幼稚園児2人の兄と共に、幼稚園でも、入園前のひよこクラブデビューしたりと着実に進んでる子供達とは方向違いで私のクローン病も悪化して行きました。
クローン病の再燃は殆どがやはり食事から来るものが多く、食べる物に1番苦労してました
ママ友達と子供連れでの食事会、殆ど食べてはいけない食品ばかり…
でも、私だけ食べない訳にも行かず、それに元々食べるの大好きが1番の災いですが、入園を控えた2007年2月
ついに、クローン病が活動期に入ってしまいました
隣の市の専門病院で、主治医から2週間の入院で済むから、バルーン拡張手術をしないと、腸閉塞が進んでるので、腹膜炎起こす可能性があると言われ、両親、ママ友、幼稚園の担任の先生、皆さんの協力で、2月、3月、4月と2週間づつ入院して、小腸を広げる手術をしました。
娘の入園式は、胸のIVHをヘパリンロックして、式だけに外出許可をもらい幼稚園へ
そんな不安定な中の入園式は、お花のゲート前迄はニコニコだったのに、いざくぐって園に入る事が泣いて泣いて出来なくて…
困りました
この時の娘の顔、思いっきり引きつってます
そして、手を握って無いと居なくなりまーす
どうにかこうにか、ママ友達のヘルプで無事入園式を終え、園の先生、ママ友達に又お願いをして、入院先にトンボ帰りしました
3ヶ月に渡って、その年はバルーン拡張手術しましたが、やはり小腸の悪化した部分は手術した方がいいと言われ、その年の12月に名古屋市内の大学病院で手術する事が決まりました。
私の主治医は名古屋市内の大学病院の消化器外科の医師のDr.○○のブレーンで、その先生が私の手術をしてくれる様に,こっちの主治医が資料も全て送ってくれ、話を聞きに行ったのは秋の10月でした。
大学病院は大きくて、コンビニから郵便局、喫茶店、それも最上階だったかにも、チョットホテルのラウンジみたいな喫茶室も
いざ、担当のDr.○○に会い話を進めて行く最中…
の指の細く長~いのを見て、器用にこの手で手術こなすんだと改めて安心しました
変な所で安心する私です
その後、入院案内所に行き、DVDを見て入院の書類一式を手に帰宅
いちよ、手術日は12月の月末クリスマス頃には、と言われました
3人の子供達とXmasに一緒に居てあげれないなんて可哀想だなぁと1人帰りの地下鉄で考え込みした。
そして、寛解期を維持して秋を迎え、冬…
12月に入り、入院予定では12月26日でしたが、ある日家電が鳴り、出るとなんとDr.○○から直接のお電話
手術のキャンセルが出たから、19日に入院出来る❓
手術は21日にします
との連絡が来て、早めに手術した方がいいに決まってるし、快諾してその通り19日入院しました
その時もママ友のHちゃんが車で送ってくれ、入院する大部屋まで付き合ってくれ、たくさんエールを送ってくれ帰って行きました。
入院して、すぐ体重身長を測り、病室でゆっくり
あ、書くの忘れてました‼️
10月に診察に来た時に、呼吸機能の検査、血液検査、心電図の術前検査はしました。
私は確か、南病棟の6階の病棟だったと思います。
着いてすぐ、6階の入り口で手に名前とI.D入りのタグを付けられ病室でした。
その日は何の予定も無く、食事は各階の食事をするブースがあり、そこで腕のバーコードをピッで食事が…
わぉ
何と近代的な事とビックリしたのと、食事の量の多さ…
こんなに食べていいんだ…
でした。
翌日、麻酔科の先生の話、口腔外科の先生の話、剃毛とお臍の処理の話と目一杯のスケジュール
昨夜、暇だったのに…
どれが一番最初に来たのかも覚えてませんが、麻酔科の先生が持って来た、息を吹いて容器の中のプラボールを一定に保つ作業が楽しかったです。
それは手術直前までして下さいと言われ、せっせっとしてました
その時が人生初の気管挿管をする手術でした。
以前のブログにも書きましたが、海外ドラマの影響で、あ、医療系のですが、それをよく見てたので、こんな風なんだ~
自分もチャンスがあればやってみたい‼️
なんて、バカな事を考えてたので、手術に対する怖さは微塵も有りませんでした。
剃毛はお臍の下の辺りをショリショリ
お臍は綿棒にベビーオイルでこちょこちょ
最後にお風呂どうぞ~
で、その日は終了
翌日、手術当日
朝から家族が来てくれ、私は点滴、手術着、弾圧ソックスを履き待機
ドキドキ
ワクワク
○○さん
行きましょうか~⁇と看護士さんと麻酔科の先生が、車椅子でお迎えに
手術室前までお見送り出来ますのでどうぞと言われ、大きな専用の通路を通り、確か三階に降りて、又専用の通路をくねくね
ハイ、ここまでで…
笑顔で家族に頑張ってくる事を伝え,手術室のロビーへ
そこは、片側に飛行場の行先便名とか書いたパラパラとめくれて変わる様な大きな物が有り、そこに私の名前と手術室の番号やら書いてあって色々キョロキョロ見たいのに、麻酔科の先生が名前を聞いて来て、新たなバーコードの入ったネーム入りのタグを反対の手に付けられ、車椅子からストレッチャーに乗り換え、周りを見ると他のストレッチャーに乗った患者さんが何人も…
パラパラとめくれる度に、何々さんそろそろ行きますよ~の声
そして、私の番に
広い通路を通り、何メートルか進んで左側の手術室に到着
そこは、全てステンレス製の床、壁、天井で、壁には大きな大きなパソコンの画面が有り、真ん中に手術台が有りました。
そこにストレッチャーから乗移り、麻酔科の先生、看護士さんが、寒くないですか?と優しく対応して下さり、今から脊髄に下半身麻酔するのでエビ折になって頂けますか?との事で、横になり、言い表すなら…
ブスッとヤられました(笑)
痛みに強いのも有りますが、さほど痛くも無く、それより上半身を起こして手術室を見たくて見たくて仕方なくて、看護士さん達に見たいでーすと言い、思う存分キョロキョロして来ました
変な患者でゴメンなさい
そして、担当のDr.○○の姿は見えずのまま、今から眠くなりますよ~
との声
又、いつもの様に負けるものか‼️と戦いを挑み7つ位で落ちました。
そして、目の前が明るいなぁ~と思った瞬間‼️
抜管され
お目目ぱっちり‼️
終わりましたよ~
開口一番、Dr.○○居ます❓
顔を覗いて見せてくれ、安心しました
そのまま、ストレッチャーに乗せられ、その日は病室に戻らず、ナースステーション前のリカバリー室に
仕事終えた旦那も駆けつけてくれ、一緒に泊まってくれました。
手術した日はやはり相当痛くて、一回だけ痛み止めの点滴をしてもらいました。
翌日から歩行訓練開始です
先ずは、病棟半分
そして病棟一周を課せられましたが、難無くクリア
すぐ、オシッコの管も抜いてもらい、点滴棒をお供にクルクル回って歩いてました。
そこの大学病院の点滴棒‼️
スッゴイしっかり者なんです
頑丈な円になった下半身、太い棒、手を掛けたり、コンビニの袋下げたりするのに便利でしっかりした持ち手…うーん…取手かなぁ…
とにかく、体重かけてもぐらつく事無く、支えてくれた愛しいポチでした
そして、総合栄養剤のエレンタールを確か3日後から開始して、次の日からご飯
えっ❓もう白米いいの❓
柔らかいけど、全粥とかからじゃないんだ❓
と…
ここの大学病院やるなぁ~
なんて、思ってパクパク食べてましたけどね
そして、Xmasを初めて病院のベッドで1人迎えました
寂しかったけど、同じ病室で他の病気で耐えてる方達と一緒に居れて良かったです
術後確か1週間後だったと思いますが、お腹のホッチキスを取る事に~
ペンチみたいので、パチンパチンって
痛く無かったけど、怖かった
変な所に力が入って…
12月30日、無事退院出来ました
新年は我が家で迎える事が出来ました
長文になってしまいました
申し訳ないです
有難うございました