ちょっとふと思ったので・・・・



今後の大学のあり方について。

今は授業料を払って通っている、このあり方を『払う』じゃなくて『もらう』に変えたほうがいい人材が育つのではないか?


ほとんどの学生は大学に入ってどうやって遊ぶか考えるだろう。大学で授業を受けていても質問をしない。講師の方も熱をこめて教えることはほとんどしない。あきれている人がほとんどだと思う。それも納得できる。社会でもまれてきた講師の方にとって、何も知らないくせに学ぼうともしない、質問もしない人には怒るかあきれるかどっちかだと思う。それが毎年続くのだから・・・・・

学生も、講師も責任を持っていない。責任が宙に浮いているのか?


企業では違う。いい人材が育たないと会社の利益、自分の利益に直結する。

育ちそうな、芽が出そうな人材を見つけては育てようとしている。それを受ける側も何とかものにしようとしている。自分の人生にかかわるから。食べていけるように、あるいは、評価をされるように。



学生が質問をしないのは、熱意や将来の目標が理由にならないからなのか?

授業中に質問をすると、周りからちょっと浮いてしまう感じを受ける。そんな経験はないだろうか?変に尊敬されたり、距離をとられたり、嫉妬されたり。社会に出るとそんな面倒な感じを受けなかった。変わりに質問の質について考えさせられた。変な質問、的をいてない質問はやっぱりいやな顔をされる。授業ではそういう質問には懇切丁寧に諭してくれるが・・・



今後、どうしたって学校のあり方が変わっていくと考えているが、私は、学生自らが社会の一員となって稼ぐ様になると思っている。



長いこと書きませんでしたが、久しぶりに書きました。今後は手記がわりに使おうかな。


~以下本文~
私は考え方が硬いと言われる。
私は本(主に歴史小説)を読む。
本を読むと考えが固くなる気がする。何を考えるのか、思うのかを本の中に決められていてそれにそって自らの考えを巡らしてしまう。しかし、同時に私には本を読むという欲がある。通勤時の電車の中や喫茶店は格好の場所で、つい読んでしまう。
この、2つのことは矛盾しているがどうしょうもない。本は読みたいが学びたくはない。
幸い、私は記憶力が乏しいのでほとんど読んだ本の内容を覚えていない。よく登場する人物や気になったことに関してはしょうがないが。
本を読んでこの人すげーって思う。
要は、そのことで私の生き方が定まればいいと思っている。
書くことが無いのと、忙しいので更新してませんでした。スイマセン。

少なからず読んでくれる方々がいるので、報告をしとくべきでした。


えっと8月中頃には…
書きます。書くんじゃないかな。ま、ちっとは覚悟はしておけ。(笑)
(不快に思う人のために、ネタ元はさだまさしです。(古いか…))



これからも思ったこと、感じたことを書いていくので、よかったら覗いていってください。m(_ _)m

やる気とはなにか。

それは、興味であって、負けたくないという根性であって、責任感であって、それらの積み重ねから当たり前のこととして行っていたことが、周囲から「やる気がある」と、とられられることもあって、その時々で様相をかえるものである。(と、私はとらえています)




 私自身の経験としては、やる気のなく(やる気なく、さらに眠たかった(笑))研究室で過ごしていたときに、 同級生の研究内容の進度を休憩中に聞いて、
「こうしたほうがいいんじゃね?」
とか、
「オシロスコープを実験で使ったら計測が楽になるくね?」
って、相手から言われたときに、
「その通りかも。」
って思って休憩中に考え出して、研究室に戻って過去の論文引っくり返して調べてたら、

「いきなりやる気になってたね。」

と、言われ…

俺自身は、自ら「やる気出そう」とかしてないし、思っとらんのやけど、
同級生との休憩中に疑問をもったことで刺激をもらい、結果、その疑問に対して行動をしただけのこと。
 


 しかし・・・・結局、オシロスコープを使っても楽にはならず・・・というか、今まで通りのほうが理にかなってた。まあ、改めて実験について調べるいい機会になった。


 いつかは調べんといかんからね。





 いままでの浅い経験から、自ずから発揮する「集中力」というものは、切れやすく大きく発展はしない。
 しかし、人からもらう「やる気」は大きな行動力を生み、考えも混ざりあうことでなにかに気づく可能性をもっている。

 そのような刺激を与える人と一人でも多く接していきたいし、常にそういう友達を持っていたい!

と、思った。





 下書きを6月11日ぐらいにかいていて、それを修正して投稿したら、投稿した日にち(22日)じゃなくて下書きをした日にち(11日)になるんですね・・・。

 なので、一度投稿したけど、コピペして(ちょっと修正もして(笑))再び投稿しました。 (やっぱ、時系列順のほうが後で見る時に自分の考えが分かっていいので)

「経営に終わりはない」:藤沢武夫

を、例のごとく図書館から借りて読んできました。(^o^)/

たった今読みを終わったわけですが、・・・とてもためになったので、ぜひとも読んでほしい本です!


この本の著者の藤沢武夫さんは知っている人もいるでしょうが、日本を代表するモビリティメーカー、ホンダの創業者の本田宗一郎とともに、ホンダの創業当時から主に経営面でかかわっている人です。


本の感想;

 藤沢さんがホンダの経営にかかわった二十五年間、いくつかの危機を経験されて、そのつど短期的な利益に目を向ていれば、ここまでホンダは大きくならなかったのではないのかとも思えてきます。藤沢さんにはひとつの大きな芯を持っていて、そして、問題が起これば、常にホンダの将来のことについて行動してきたのではないかと読んでいて思いました。



 私は、就職活動中に企業研究についての講師のセミナーを何度か受けてきましたが、そのたびに

「企業は社会のためといっていても、常に利益を最優先している」

と、おっしゃっていました。言ってることは理解できます。利益が出ないと社員を養ってはいけないし、そもそも会社が成り立ちません。非営利企業といっても最低限の利益は確保していることも聴いたことがあります。

 しかし、その講師の考えは間違っているのではないかと疑問に思っていました。


「利益を出すことは、企業として当然のことではあるけれども、利益を出すことが企業の根本にあるわけではない。」

「利益を最優先している企業は、その企業の客(メーカーでいえばその販売商品を買う人)からの信用を得られにくいから、結果自分の首を絞める結果となるのではないのか。」

「利益を最重要としている企業は、そもそも社会的な存在価値や存在意義が小さいのではないか。」


という、1つの考えと2つの疑問が私の頭の中にあって、この本を読んで確信に変わりました。




私の中での結論は、「利益=お金」ではなくて「利益=人」であることです。


 人という表現を使いましたが、用は信頼、信用、技術等のお金以外のどれかを、真っ直ぐとした芯を通して優先していることです。お金には将来性は皆無ですが、人は将来性があります。


 この本からは、お金を手段としては良いが、結果として(目的として)捕らえることはダメであることを学ばせてもらいました。




 私は、この記事に書いた自身の結論を100%で信じてはいないのですが、・・・一つ、私が会社にはいってお金のためだけに働いているとしたら、それは幸福な人生だったといえないことは、この本の最後の章を読んで思いました。




 


あまり読んでる人はいないでしょうが、このブログの更新は、私が書くことを思い浮かんだときにするので、不定期になります。2~3週間あくこともあれば、3,4日で更新することもあるので、一ヶ月に2,3度

「あいつ遅いけど更新してるかな。」

と、見に来ていただければ幸いです。(^o^)/