杉咲花主演他。歌舞伎町で、あなたは“私”ときっと出会う―。擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」に全力で愛を注ぎながらも、自分のことは好きになれない由嘉里(杉咲花)。27歳になって結婚・出産・・・と違う世界に次々と離脱する腐女子仲間をみて、このまま仕事と趣味だけで生きていくことへの不安と焦りを感じ、婚活を始めることに。しかし参加した合コンで惨敗。歌舞伎町の道端で酔いつぶれていたところ、美しいキャバ嬢・ライ(南琴奈)に助けられる。その出会いは、由嘉里を新たな世界に導いていく―。これは「明日の私がちょっと好きになる」―そんな“わたし”との出会いの物語。

8/10点!!原作途中で離脱してます。金原ひとみ好きなんですけど、なぜかこれは最後まで読めなくて。でも、映画はちゃんと台詞が心に入ってきたし、自分がなぜこんなにも死にたくて、でも死ねなくて、生きていたいのか、生きようと足掻いているのか、ぼんやりとした答えがライやユキによって提示されたような。なぜ無責任に(私の全人生を背負う覚悟がないという意味で)「生きなきゃだめだよ」系人間が苦手なのかもわかった気が(^^;) 死にね、引き寄せられる自分を止められなくても、案外足掻いているもので、案外人間は簡単に死ねないものだから、ライはもしかしたらどこかで拾われて生き延びているかも知れない。でもライみたいな人間の傍にいる人は真っ向からその気を受けちゃうから、元カレ(菅田将暉よね?)は精神を病んでしまったし、由嘉里もあの部屋にいると苦しくなっていたのだと思う。逆に苦しくならない人間の方が見ないふりなかったふりを出来る恐ろしい人種なのだと感じる。受け流せるはまた別だけど。ライはもしかしたら由嘉里を元カレのようにしたくなくて出て行ってしまったのではないかとも感じた。自分が欲しいものを手放せちゃう=自分を大事にする本当の方法が分からないから。新宿は人が急にいなくなるというけれど、生のパワーが強い街だけど、同時に同じくらい死の気配に溢れている街なのかな?そんなに具合悪くなったことないけど・・・(やばい場所はあるけど)。「明日の私がちょっと好きになる」系映画ではなかったけれど、何となくモヤついていたものの輪郭が見えてくる金原ひとみらしい作品でした。2025年公開。

 

染谷将太主演他。この楽園は異常ですか?デイケアを行う「異人坂クリニック」。身体のリストラをされた老人たちは今日も元気に、笑っている。ある町のデイケア「異人坂クリニック」に通うお年寄りの間で、漆原院長(染谷将太)が考案した<画期的>な治療が密かに広まっている。究極のコスパの良い介護を目指すその医療行為は、<廃用身>(麻痺などにより、回復見込みのない手足のこと)をめぐる、従来の常識を覆すものだという。その結果、「身体も心も軽くなった」、「厳しい性格が柔らかくなった」などと予想外の“好ましい副作用”が現れたという。噂を聞きつけた編集者・矢倉(北村有起哉)は、老齢期医療に革命を起こす可能性を感じ取り、漆原に本の出版を持ちかける。しかしやがて、デイケアに関するとある内部告発が週刊誌に流出。さらに、患者宅で起きた衝撃の事件をきっかけに、すべてが暗転していく―。「映像化、絶対不可能!」と言われた久坂部羊の同名デビュー作を驚愕の映画化。観る者の心の均衡を静かに解体していく、悪夢のようなヒューマンサスペンスが開幕。

8/10点!!久々に生と死を同時に宿せる目を持つ染谷将太をがっちり観ました。介護を託すのもするのもされるのも身近な現代人にとって、これは私事として見ざるを得ないドラマでした。医療行為の結果に確実なものはなにひとつなくて、治療というのは確率と可能性と、医師と患者の強い意志によって成り立っているものなのだとあらためて突きつけられた気がします。だから、思ったような治療効果が出なくてもその結果、亡くなったとしても、託した医師を信頼していた場合は責めることは出来ない。特に自分事だと覚悟もしているから。ただ本作のような見た目が大きく変わる手術に関しては一定期間の心理士の介入が不可欠で、インフォームドコンセントも繰り返し繰り返し行われるべきものなのだと思う。まだ確立されていない医療行為であり、医師や患者が期待しているのは、効果ではなく副作用という曖昧なものだから。本作を観ていて、やはり医師も患者も家族も、どれだけ冷酷そうなことをしていても人対人なのだと痛感させられた。過去があるから今の結果に繋がっている。信念や患者を想う心が合っても、容易に潰されてしまうこともある。人の心の曖昧さと弱さとそれでも生きたいと願う強さ、0%だと言われても1%を信じたい(つまり自分が信じたいことを信じていたい)人間という生き物の歪さが真正面から描かれている作品。個人的にはですが、見た目が変わるって想像以上に心を崩すダメージを負うものだから、廃用身になっても、痛みの限界まで、私はその部位を諦めきれないと思う。鏡で見たくない自分になるって相当辛いよ。それを潔く割り切れる人間もいれば、私のようにきっといつまでも割り切れない人間もいるのだと感じた。2026年公開。

 

ヤスナ・ジュリチッチ主演他。そこに、神はいなかった―1995年、夏。戦後欧州最悪の悲劇「スレブレニツァ・ジェノサイド」。事件の全貌、そして家族を守ろうとした一人の女性の運命とは?ボスニア紛争末期の1995年7月11日。ボスニア東部の街スレブレニツァがセルビア人勢力の侵攻によって陥落。避難場所を求める2万人の市民が、町の外れにある国連施設に殺到した。国連保護軍の通訳として働くアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)は、夫と二人の息子を強引に施設内に招き入れるが、町を支配したムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力は、国連軍との合意を一方的に破り、避難民の“移送”とおぞましい処刑を開始する。愛する家族と同胞たちの命を守るため、間はあらゆる手を尽くそうと施設の内外を奔走するが・・・。故郷ボスニアの紛争による傷跡を描き続ける女性監督ヤスミラ・ジュバニッチ監督の最高傑作。第93回アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート作品。

7/10点!!ボスニア紛争について教科書くらいの知識しかない中で観ました。国連軍が駐屯する国連施設内で大虐殺が行われるとは。しかも、施設が陥落したわけではなく、国連軍はトップの指示に従い、無抵抗・無鎮圧。空爆はなぜ行われなかったの?あんなに連絡つかなくなるほど上層部の誰もが国連施設を捨てたの?そんなことある?(あったんですけども)ただ、国連軍の施設内のトップ(交渉の場にいた)が「入れるな」と言っていたら、逃げられる人もいたかも知れないけれど、そのまま銃撃戦になって女性と子どもは助からなかったかも知れない。当時のセルビア軍って国連施設に攻撃仕掛けられるほど強気だったのか?そこがリアルタイムを知らない世代なので分からないのだけれど。1995年というのが実に・・・国連やWHOとか国際機関って肝心な時に驚くほど役に立たないどころか足を引っ張ることすらあるのねって、近年、肌で感じることが多くなった。あの時あの場にいたアイダの感覚がいかに正しかったか、怖かったか、無念だったか、彼女に刻まれる老化とは違う皺から痛いほど伝わってきた。2021年公開。