丸太の腰掛が一つあればいい | 「ありのまま」でいいんじゃない

丸太の腰掛が一つあればいい

ひとりお盆のさなか県道10号線を南下する。仙台空港のアンダーパスをくぐり抜け、福島県相馬市から茨城県日立市までの約150km、高速道路は使わずに一般道を走る。

 

3度目となる被災地域巡り。

 

津波の被害で海岸に近い道路は何箇所も寸断されていた。何度も国道への迂回ルートを走っては海辺近くの県道を走り続けようとした。

 

県道から狭い浜辺に入り込む。たぶん被災前はもっと大きな浜辺だったはず。防壁コンクリートは真新しいかった。家族らしき人たちが波打ち際で戯れる姿に「もしかしたら、この近くに住んでいた人かな」と心が少し和んだが憂も味わった。一般の方がわざわざこの浜辺へ来ることはないだろう。

 

県道を外れて車を進めると、少し小高いところに人の集まりが見えた。その塊の脇にはぽつんと小さな墓地がある。幸いにその一角だけが津波の被害を避けられたのだろうか。ご先祖への感謝と供養は怠ってはいなかった。

 

駅とその周辺は綺麗に整備はされてはいてもまだ何も機能していなかった。県道を探しながら迷い込むと戸建住宅が高台に地域ごと移されたようなところに出っくわす。そこだけ見ればどこにでもある区画整理された静かな住宅街だったが、住まれている方々のおもいを計り知ることはできない。

 

慰霊碑は残りながらも、時代も変われば、世代も変わる。

 

 

国道6号線、行き来する車は少ない。帰還困難区域を激しい雨のなか止まることなく一息に走りぬけた。一箇所だけあった電光表示板の放射線量は2.485マイクロシーベルトを示していた。バリケード封鎖された脇道には警備員が常駐している。凛と佇む警察官が車の通行を監視している姿に奇妙な恐ろしさを感じた。

 

いったいいつまで続くのだろうか。誰がどうやり続けるのだろうか。この国に真正面から突きつけられた大きな課題だと思うのは私だけだろうか。

 

この国で暮らしていくのなら未来永劫、向き合い続けなければならない。決して背を向けることはできない。できることなら現場を直視した方がいい。

 

1日数本しか来ないバスを待つのに立派な停留所はいらない。雨をしのげて丸太の腰掛けが一つとあればいい。

 

「ほんとうの豊かさとは?」なんだろうか。ものの豊さが安らぎや幸福を与えてくれるという時代はとうに終わったと思っていた。戒めるかのように大きな原発事故は起きた。過剰な欲の追求に対して反旗をひるがえした出来事ではなかったのではないだろうか。

 

ものの豊かさは度を越した便利さを生み、やがてその便利さは人を衰えさせ怠慢にし、心を麻痺させ鈍らせていく。不便だからこそ、整っていないからこそ、程よいからこそ、人々によって培われ生まれるものがあり、継承すべき大切なものができあがるはず。

 

天災と人災は後を絶たないが、いつどこで当事者になるかはわからない。「未来のために今何を優先させるべきなのか」と問われている。

 

一人ひとりが余分な欲を削ぎ落とすことから。