それは小さな怒りから
1/6(火)25日目。5時過ぎに起きて7時前には宿を出る。標高700mに聳える山岳霊場第45番礼所岩屋寺へ。遍路道は励起を浴びているような霧と小雨で音もなく神秘的な空間だった。
一本橋のような小道は木の根が道を絞り込んで、まるで蛇が絡まっているような印象が残る。道の両サイドは木が生い茂る谷だった。
お堂は違和感もなく岩に溶け込んでいた。この靄で一層自然と調和しているように感じられた。参拝に訪れている人はいなかった。納経帳を差し出し、納経所にあるストーブで悴んだ手を温めたことを思い出す。
拝礼を終えるとすぐに山を下った。宿に着くと預かりロッカーからリュックを取り出し、背負って再出発。強い雨に打たれながらきた道を戻り、国道33号線に出る。
不要なものを送るために郵便局に入った。接客する局員さんはひとりだけ。お客さんとのやり取りが終わるのを待った。最初に小さなテイッシュを差し出され、お決まり通りの応対に心がイラッと反応し、心の中に「それより先に、荷物を」という思いが先走る。 それは小さな怒りだった。
「360円のレターパックで大丈夫ですか」と言われたが、「大丈夫です」と答えた。たぶん入るだろうという強い思いがあった。
膨らんだがレターパックを無理やり閉じた。手渡すと素っ気なく「これでは無理です」と、大きさを計測する四角い枠の中を通らないことを見せつけられた。
そこでつい「向こうなら閉じられていればOKだよ」と反応してしまった。
いつのまにか話の収集がつかなくなり、「500円のレターパックに買い直しますから」と、さらに油を注いでしまった。平行線のまま「いいです、これで送りますから」と受け入れてはくれなかった。
私が最初にイラッとした怒りが伝わっていたんだなと。怒りは伝染するといいますから。
一つの反応がことを台無しにしてしまうことはよくある。国道33号線沿いを歩き出すと私の横を大きなトラックが通り過ぎる。トラックから舞い上がった水しぶきを全身に浴びた。さらに遍路道を歩くと下り坂でバランスを崩し、転けて泥まみれになった。
心身にしみたありがたき戒め、着替えることなく黙々と5時間近く歩き続ける。寒くはなく、身体から湯気が出ていた。
先入観を捨て、決めつけず、そのとき自分がどう感じているかだけに最初に心が向けられれば。自分の心を通り越し、相手の心に無理やり入り込まなければ。悔いる。
何でも、まず自分の心が今どう動いたか、どう動いているかを知ろうとすことからなんだよな。2年も経ってからようやくに。
宿に着く頃には雨はあがって晴れ間が覗く。そのときの心はlこんな感じだったのかなって絵が物語っている。宿に着くと直ぐに泥だらけの靴を水洗いしていた。