自分と向き合い始めた証 | 「ありのまま」でいいんじゃない

自分と向き合い始めた証

2015/1/3(土)22日目。久しぶりに札所間が短い。松山自動車道とほぼ平行して第41番、42番、43番札所と並ぶ。前日休息した天赦公園はちょっと遍路道からは外れていた。できるだけ遍路道を歩きたかったから分かりやすい道は選ばなかった。

 

確かめたくて、戻りたくてもまだ薄暗い街中は誰も歩いていない。聞くに聞けず迷いながら、遍路道があるだろう方向を歩いていると、タクシー会社の看板の灯りが見えた。事務所の人に声をかけてこと無きを得る。

 

 

JR予讃線宇和島駅近くを通りながら、何度か踏切を東へ西へと渡る。JR宇和島駅は末端駅。絵はないがゆったりしている街並みの感覚だけが残っている。次の北宇和島駅でJR予土線と分岐すると風景は一変する。畑に雪が残り、山は冬化粧だった。

 

 

 

第41番札所と第42番札所。この近辺で22日目の宿泊予定を地図に書き込んでいたが、予定より少し早いペースでここまで来ていた。

 

 

 

標高470m歯長峠を超えた。まさかの、まさか。少しづつ登っていくと人一人が歩ける幅程度しかない。下を覗くと瓦礫がいっぱい。自然を歩く醍醐味を感じながらアドベンチャー感覚ですり抜ける。

 

 

 

峠を越え、反対側の登り口を見てびっくり。「この先土砂崩れのため通行止め」の看板。もし、これがかかっていたら、峠を越えず迂回していただろう。

 

 

 

知っていれば、知っていなければ、することしないこと、それぞれ。決めているのは誰、いつも問いかけられている。

 

最後に決めているのは自分のはず、目的地へ行き着くまでは思い悩むんだよ。あてずっぽで何も考えずにやってしまうこともあるだろう。どちらに、どう転ぶか、もわからないときもあるだろう。わからないけど生きるってそういうことなんだな。分からない道だけど、どう歩いていくか考え続けるのが楽しい。

 

その人の今にあった導かれ方があるような気がする。思い悩み、苦しみ、問い続けて来た成果みたいなものが、生きているって実感したとき次へのエネルギーに変わる。

 

偶然でもことを決めているのは自分なんだよなぁと思えてきたら、自分と向き合い始めた証かな。