
さんだーばーど@sandaabaado1
@amneris84 わたしも次の次の電車、2両目一番前に乗っていてずっと電車止まってしまって、やっと霞が関に着いたら、液体が拭き取られた後でした。外にでてびっくり。忘れないで毎年献花台を設けてくださる霞が関駅にも頭が下がります。
2021年03月20日 16:53
江川紹子氏にツイレスしたサリン事件の件。
たくさんふぁぼいただいちゃいました。
次の次か、次の電車だったか正直うろ覚えなので、次の次と書いたけれど、
ほんとに、千代田線が止まって、電車に缶詰めになりました。
やっと動いて、なんとか霞が関で降りたときは、
駅のホームはなにか液体をぬぐって掃除をしたあとになっていて。
その瞬間は何があったかわからないまま、
霞が関の出口を出てみると(前でいう経産省のところ)、
救急やパトカーでいっぱいになっていて、
それでもすたこらさっさと会社に行くと、
「大丈夫だった?」と尋ねられたり、電話の嵐だった。
冗談では、そのせいで、あたおかな人間になったと言ってるけれど、
ほんとニアミスしたんだなとおもいます。
事件のwikiを見ると、事件後すぐは、千代田線は国会議事堂前まで、
ノンストップで、その後動かなかった、というような記述があるので、
記憶違い?ともおもったりはしたけれど、
あの、濡れていたあとのようなホームは今でも思い出すくらい。
電車が止まって詰まっていたのも、湯島、新お茶を超えたあたり
だったように記憶しているので、まんざらまちがいではないな、と。
その日は、さすがに、こわくなって、千代田線で帰宅することができずに、
新橋まで行って、JRで帰宅した。
しばらくの間、持ち主不明の荷物が網棚にあると
なんだかそれだけでもこわくなる気分になった。
なので、さまざまなPTSDを訴える人に対しては、決して
「おおげさ」
とは思わなくなりました。
たまたま、大学生のとき、ESS入ってて、
そこで、じょうゆうさん(早稲田のESS)が有名だったので、
そのひとがいる組織がこんなことしたのか、というのは
また違った意味でもショックでしたわー。
またたまたまなんだけど、上九一色村から
教祖だったひとがタイホ、送還されるときも、
その車を霞が関で目撃したので、
なんか、へんにかかわりあるんじゃないかと
違った意味でもちょっと記憶に残る感じ。
数年は千代田線霞が関駅の国会議事堂よりの階段を
おりたところに、祭壇のようなものがあったけれど、
いつのまにかなくなって、数年前にたまたま20日に
霞が関で献花台あったので参ったときは、
事務室のようなところに献花台を作って、
この事件の時は生まれてなかった?というような
若い社員さんたちが懸命に応対をしていて、
また違った意味でぐっときた。
何年たってもついこないだのことのように思い出すことができるので、
人の心の中の傷は時が味方してくれてもなかなか
癒えないこともあってむずかしいなとおもう。
他人が測ることじゃないんだなーと。
ただ、時はまちがいなくゆっくりでも味方はしてくれるとは思う。

