こんにちは。
ほてい将棋教室では
毎回最初の30分に大盤を使って講義を行います。
簡単な詰将棋
そのあとちょっと難しい詰将棋
手筋の解説
終盤の指し方
序盤の定跡
その他もろもろ・・・その日によって違うのですが
その際、みんなに守ってもらう大切なルールがあります。
それは、
ほかの人がかんがえるじゃまをしない
どゆこと?
つまり、自分がわかったからといって、
「あ、わかった!3三角!」
とかすぐに答えを言っちゃわない
ということです。
将棋は考える競技です。
ですので、
将棋が強くなるためには考える力を鍛えることが大切です。
ある局面を見る
最善な手は何かを考える
これがとても大切なのです。
柵木幹太四段がラジオでこんなことを言っていました。
「自分は大学入試のとき、受験勉強ばかりでほとんど将棋の勉強はしなかった。けれど将棋の調子(当時奨励会)は絶好調だった。たぶん、受験勉強のために頭を使っていたので、脳をめちゃくちゃ鍛えたのが将棋にも良い影響を及ぼしたのだと思う」
例えばスポーツでも同じことが言えますね。
野球のピッチャーが、基礎体力をつけるために走り込みをしたら球が速くなった。投球練習していないのに。
マシンで筋トレしたらバッティングの飛距離が伸びた。
この走り込みや筋トレが
将棋でいうと「考える」ということだと思っています。
次の一手がすぐにはわからなくても、う~ん、と考える。
こうでもない、ああでもないと考える、ここに意味があるのです。
ですから、ほてい将棋教室では、
問題を出してもすぐには答えを言いません。
みんなにも言わないようにしてもらいます。
わからない人もがんばって、1分くらいは考えてみよう。
わかった人も他にもっと良い手がないか?違う手だとどうしてダメなのか考えてみよう。
といって時間を使います。
そこで答えを言っちゃうことは、
人の筋トレの邪魔をしていることと同じなのです。
そして、充分考えた上で、考えた結果をそれぞれ言ってもらい
正解手が出たらその解説を私がしていく、という感じです。
が、そうやってしっかり考えてもらうと
私が正解として用意していなかった手も出てきます。
「せんせー、こっちはー?」
「その手だとね・・・・・・ん?あれ?ダメな理由がみつからないぞ?・・・・その手もいいか?・・・こうやったら・・・?あ、こうなるからイケルかも・・・?みんなどう思う?」
「いいと思うー!」
「んーー、じゃあこっちも正解!」
ということも起こっちゃいます。
でも、それが楽しい。
みんなでいろいろ考えて、
私が用意した正解手順だけが正解じゃない。
将棋は自由なんだよ、ということも実感してもらっています。
プロがみたら、いやいやその手はこういう変化があるから正解じゃないよ、ということもあるかもしれませんが、その場でみんなで考えた結果の方を大事にしています。
プロを養成しているわけじゃないのでね。(言い訳)
ほてい将棋教室は、そういうところです。
先日、こんなことがありました。
講義のあとの対局の時間。
「先生、あの子もう10分近く考え続けてて指さないんですけど、私もう行かなくちゃいけないので、あとお願いします」
と、K先生に言われました。
ほてい将棋教室では、級を認定していますが、
昇級の一番は先生とガチ対局。
こうたは小1ですが現在5級で、この日4級昇級を賭けてK先生とガチ2枚落ちを指していたのです。こうた、かなり気合を入れて臨んでいましたが、形勢思わしくなくほぼ敗勢。なんとか逆転できる良い手はないものかと長考に沈みました。
ですが、K先生は用事があるのでもう帰らなければいけません。そこで仕方なく私のところに訴えてきました。
見に行くと、なるほど、さすがにどう指してもダメそうです。けれどこうた、うーーん、こうするとああでしょー、これだと角打たれてー、うーん・・・と唸っています。
私はK先生にお礼を言って帰っていただき、
「こうた、指したら先生に教えてな」
と言って他の仕事をしていました。
その後10分くらいして、「こうたが指したよ」と別の男の子が教えてくれ、見に行くと。
うん、一番粘れそうな手を指していました。
よく頑張って考えたと思います。
もしかすると気持ちを整理する時間も含まれていたかもしれません。
その後わたしが数手指し継ぎ、こうたは「負けました」と投了しました。
泣いてはいませんでした。
よく頑張って考えた手、これはこの場面では最善の手だったと思うよ。
と私が言うと、こうたは、でも4級なれなかった・・・と悔しそうでした。
また頑張れば良いよ。
小1で1手に20分も考え続けたこうたは、
きっとこの先ぐんぐん伸びると思います。
そして、自分の方は時間がないのに、こうたに早く指すよう急かさなかったK先生も素晴らしい対応だったと思います。
ほてい将棋教室は
こんな生徒と先生に支えられています。