使えない & 儲からない。
普通に能力がある人は自力でやるし、できない人は出力結果を正しく評価できない。
やると時間とか金がかかることを任せるという使い方はあるけど、修正調整が面倒。
って、帯襷。
大構造ではほとんど役に立たず、抽象構造は全く理解できず。
プログラムでは、指摘するたびに修正してくるけど、できないエンジニアが叱責されないように山のように言い訳を並べて、小手先の修正かましてくる。どこかの段階で騙し切れたら勝ち。みたいに行動しているように見える。
そういうエンジニアは山のように見てきたという点では変わらんのかもしれんが、複数の人格があって切り貼りされているような、思わぬところに思わぬ落とし穴が掘られてる感がして、生身のできないエンジニア以上に厄介。
シーンの頭と最後で衣装が微妙に違ってたりとかって気にならない向きには使えるかもしれないけど、厳密性が必要なところでお気楽に使うとか正気か? とは思う(まぁ、プロダクトに参考書横目に思い込みを込めて組んだプログラムを投入するのが平気な連中に言っても理解できないかもしれんが)。
基本的に省力化 ≒ 経費節減のために使われる。
例えば映像系で、お金なくてでかいセット組めないからグリーンバックで3Dモデリング。
の3Dモデリングでもお金がかかりすぎるから生成AIで。
システム系だと、人手が足りないから生成AIで。
ってことやろ?
ここにお金がガンガン積み上がっていくというイメージは、ないんだよな。
いや、DXでー。って勢力もあるかもしれないけど、多分、標準的な分析指標は標準機能として取り込むとか、手の込んだことをしようとしたらそれができるDSLを設計するとか、の方が理にかなってる、ってなると思う。
安定しないし、作った後の保守が大変になるし、モデルロックインによって後からペイペイっとお金を巻き上げられることになる。
AIバブルは、そう遠くなく弾ける。
目の前の現実を分析する能力。
HowToを捻り出す思考法。
自分の能力を磨くしか、結局ないと思う。
そこをタイパだコスパだって、安物買いの銭失いの典型例になるだろう。
いつの時代だって、自分の手元に残るのは、自分の能力だ。
