禰豆子の爆血(まぁ、今は人間に戻ってるんで使えないでしょうけど)が
どういった意味を持つのか度々話になります。
そこでよく言われたのが親殺しの火(カグツチ説に基づいて)です。
つまり、禰豆子のモデルがカグツチで鬼滅の刃に当てはめるなら
禰豆子は親である鬼舞辻無惨から生まれた存在でありながら
親である無惨をその火(爆血)によって殺す、というわけです。
ですが、禰豆子のモデルがカグツチだとは考えにくい。
↓理由はこちら↓
私はコノハナサクヤヒメという女神ではないか、と考えています。
そのほうが自然なんですよね。
そしてそう考えると爆血の意味も変わってくるんです。
なぜかというのをお話しするために、まず爆血の特徴をまとめてみましょう。
①人間には無害。それどころか傷を癒す。
②鬼の肉体を燃やし、鬼の毒を解毒する。
まさにアンチ鬼!といった能力ですね。
だからこそ、親殺し、なんて呼ばれたわけですが
親殺しの説を唱えている人は②を重視しているんです。
ですが、①も②もどちらも重要なんです。
その理由として取り上げたいのがコノハナサクヤヒメのエピソードの一つ。
産屋を燃やした出産です。
コノハナサクヤヒメはニギギノミコトの妻なのですが
一発で子どもができたことで不審がられ、浮気を疑われます。
ですが、当然浮気なんてしてないので否定しますが
なかなか信じてもらえません。
そこで証明するために産屋を燃やしてその中で出産するのです。
(天津神であるニギギノミコトの子どもなら無事に生まれると考えたため)
これがコノハナサクヤヒメが火の神格を持つ理由でもあるのですが
なんと無事に子どもが生まれるんです。しかも三つ子。
ここで重要なのが、コノハナサクヤヒメは平気なのは当然として
子どもも無事でした。
さらにいうと、天津神のニギギノミコトなら平気なのは間違いないでしょう。
ということはコノハナサクヤヒメの家族は平気だ、ということです。
禰豆子のモデルがコノハナサクヤヒメと考えているので
こう言い換えることもできます。
禰豆子の家族には無害な炎
ここで思い出していただきたいのは鱗滝さんの暗示です。
鱗滝さんはこう言いましたね?
人間は皆お前の家族だ、だと。
そう、禰豆子にとって人間は家族だったんです。
ということは禰豆子にとっての家族である人間は無害であると考えられて
実際無害ですよね?
さらに裏を返すと人間に害があるものに対して効果があると考えられます。
だから鬼を燃やし、鬼の毒を解毒し、傷を癒すわけです。
つまり、親殺しどころか家族を守る火というわけですね。
日本一慈しい鬼退治。
それは炭治郎だけでなく、禰豆子の家族を想うところも含めてなのかもしれません。
みなさんはどう思いますか??