学びというと確かな物を得られる気がするかもしれない。
でも、ぼくは、不確かな物だと思ってしまった。
聖徳太子は何人いたのだろうか?
歴史の教科書では一人になっているけど、厩戸皇子と言った瞬間にお伽噺が始まってしまう。
ぼくの主観だけど、聖徳太子は日本の言霊だ。
和を以て尊しと為す
神道を軸として、仏教を受け入れ、キリストの支配を避けながらも娯楽レベルで受け入れた
自然を重んじるのは当たり前な神域
吉田松陰先生の実績が凄すぎるのだけれど
返って気づきづらいものかな
目に見えないものが大切にされる社会は目の前に見えてきた
ああ、刺激的だ