以前に書いたブログで
人間関係の断捨離を3回したと書いた
1回目は、経営者団体での失敗と離婚の時期。
2回目は、経営に集中するために仕事以外の関係者と離れるため。
そして、3回目は自社の倒産と再起の為の移住。
その3回目からの話。
名古屋から熊本に移住したぼくは、
自分の人生を立て直そうと必死だった。
でも、何をやっても空回りした。
事業の内容は、農業、予防医学、量子力学など
ぼくにとっては興味深いことばかりだった
多額の借金返済のために仕事するにはサラリーマンの収入では無理がある。
熊本で呼ばれたのは事業継承を見込んでの話だったから
自己資本のない状態で再起するにはありがたい条件だった
跡継ぎが欲しい
でも、あてにした会社には、オーナーの息子や義理の息子、娘がいた。
それをあてにしていないオーナーが彼らに代わる人材を探していたのだ。
ぼくは、探り探りで、その会社の課題を見据えながら、会長のかばん持ちに徹した。
でも、不思議なくらい、噛み合わない。
良かれと思ってやることが全て裏目にでてしまった。
会長が言った、
何十年も経営している間に多くの人を見てきたが、
君のような人は初めてだ。
理解が出来ない。
君に頼める仕事が私には見つけれない。
ぼくは、社会から抹殺されたと思った。
経営者としても会社員としても何も出来ない。
人格すら否定される言葉だった。
名古屋で生活するだけの人生でもよかったかもしれなかったけど、
大好きな人がそばにいたのを捨てて、
自分の人生を切り開く選択をしたけど、
何も出来なかった。
資本主義経済の中で生きることを諦めようと思った。
旅バイトなどして、抱えている借金のことはふいにして、
自分が生活するだけの身銭を稼ぐ生き方をしようかと思った。
仕事だお金だを一度忘れて、
本当に自分がやりたいことは何だろうと考えた。
そして、出た回答は、
旅をする人生だった。
本当に自分が満たされるのは、
旅をしながら、その土地、その時間を自分の目で見て体験していくことだと。
そして、ぼくは、九州のすべての県を車中泊しながら旅することにした。
出立の日、熊本の会社から電話がきた。
引き留めの電話だった。
何で勝手に辞めるんだ。
お前に出来る仕事をみつけたぞ。
でも、自分は諦めていたし、次の生き方に決めていた。
九州の旅は貧しくて、体力も使ったけど、案外と楽しかった。
新しい出会いもあったし、無料キャンプ場とかで地場の野菜を調理しながら暮らしていた。
サクシードという社用車で寝泊まりしてたから、身体には負担をかけたけど。
そして、たまたま、思い付きで辿り着いたのが屋久島だった。
知り合いがいたから。
車をフェリーに乗せたら予算オーバーだけど、
バイトさせてくれるなら帰りのフェリー代も捻出できる。
屋久島が良かった。
植物の種類の多さ。
海と山に囲まれて、圧倒的な自然がそこにあった。
自然の中にいることが自分には大切で、
コンビニがない不自由さは返ってぼくにはよい環境だった。
そして、出会ってしまった。
メンターの存在。
屋久然ライフのボスは、
ある意味で年代も経歴も熊本の会長と比べてしまうほど似て非なるもの。
でも、熊本の会社で経験したこととは真逆だったんだ。
ぼくの今までの人生の道のりで経験したことが全て活かせる。
そう思わせてくれた。
夢もある。
ぼくが苦手な夢をみる能力がこの人にはある。
ぼくはこの島とこの会社に一目惚れした。
そのままとはいかないけれど、
1カ月、名古屋に戻って身辺整理して、
再び、この島に戻ると約束した。
移住するということは、
自分の住み慣れた街を離れて
新しい生活を選ぶということだ
親や元嫁、子どもたちと縁が切れるわけではないけれど、
毎日一緒にいた大切な人
仕事でお世話になった人たち、関わった人たち
交流会や自分で設営していたイベントで一緒だった人たち
いきつけの飲み屋や近所のおばちゃん、管理人さん
縁が切れないわけではないけれど、
関係値は一気に変わる。
最初は捨てることで
新しい何かが入ってくるのも
モチベーションだった
でも、
失うものも多い。
耐えがたいほどに多い。
これがぼくの、3つ目の断捨離。
小さなことに一喜一憂してしまう。
あいつに会いたいとか。
連絡が来て嬉しいとか。
縁が切れるわけじゃない。
でも、関係値は明らかに変わる。
耐えがたいこともある。
自分で選んだ道なのに、
未来を確定させることは出来ない。
でも、何かを信じて進むしかないよね。
断捨離。
断つ、捨てる、離す
会いたい人に会えなくなる辛さ
過去を清算するよりも
未来を描く断捨離に
出来たらいいな